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真の多様性を目指すために〜『それはわたしが外国人だから?』
◆安田菜津紀著、金井真紀絵・文『それはわたしが外国人だから? 日本の入管で起こっていること』
出版社:ヘウレーカ
発売時期:2024年4月
日本の入管政策は世界的にみると極めて内向きであることはしばしば指摘されてきました。本書では外国にルーツをもつ人たちが現実に味わった苦難をケーススタディ的に取り上げながら、その問題点を浮き彫りにしていきます。子ども向けに平易に書かれた本ですが、簡にして要を得た記述で、日本で叫ばれる「多様性」は入管をとおしてみると看板倒れということがよくわかります。
外国籍の人々の出入国を管理しているのは出入国在留管理庁(入管)です。そこでの問題点はいくつもあります。
まず日本にやってきた外国籍の人にまつわる在留資格があまりにも恣意的に決定されていることは否めません。日本に滞在する資格を失ったものの、入管施設の外で生活できる「仮放免」という措置がありますが、仕事をすることも健康保険に入ることも認められていません。入管の施設に収容し続けるのか解放して仮放免にするのかの判断が、具体的にどのような基準で判断されているのかは不明です。ちなみに英国では仮放免にあたる判断を入管ではなく移民難民裁判所が行っているといいます。
マスコミでも大々的に報じられたスリランカの女性ウィシュマさんの死亡事案についても本書で言及しています。入管は彼女を収容し続けた理由について「在留資格をうしない、スリランカに帰らなければならないという自分の立場を理解させて、帰国するように説得するため」というのですが、そこでは人権に対する配慮はまったくありませんでした。
クルド人の難民申請の問題を扱ったケースでは、よくいわれていることですが日本では難民に認定される件数が少ないことが指摘されています。かつては日本で働くことを目的に難民申請をしていた人の存在が問題視されましたが、その後、制度の運用が変わり、難民申請を繰り返している人などは労働許可が得られないことになりました。逆にいうと母国に帰れない本当の意味での難民を受け入れることにも消極的な日本の姿勢が今後一層厳しく問われることになるでしょう。
在日コリアンのケースをみるとさらに日本の近現代史の矛盾が浮かび上がってきます。日本政府は朝鮮半島を併合した時代には彼の地の人々に「日本人」になることを強制しながら、戦後は一転して彼らを社会保障からはじき出したのです。
2022年に改定された入管法では、在留外国人にはより厳しいものになりました。たとえば三回以上難民申請をしている人たちは、審査を待っているあいだでも強制的に帰国させることができるようになったのです。多くの難民申請中の人たちはとくにこの制度に不安を感じているといいます。
日本では、出入国を管理してきた入管が、同時に難民を保護するという役割を担っています。本書ではこのことに疑義を呈しているのは一つの見識といえましょう。一つの役所がベクトルの異なる二つの仕事を抱えているのはもともと無理な話なのです。この両者の役割を切り分ける必要を説いているのは正論というほかありません。また外国人技能実習制度の目的と実態の乖離もいまだに改善される気配はありません。
私の住む街でも外国からやってきた若い労働者をみかけることは日常的になりました。日本にやってくる労働者は、労働するための機械ではなく「この社会でいっしょに生きていく人たち」です。制度をあらためて見直すことが必須でしょう。