「市民運動」の結実として〜『日本会議の研究』
◆菅野完著『日本会議の研究』
出版社:扶桑社
発売時期:2016年4月(修正版:2017年1月)
刊行以来、様々な話題を提供してきた本ですが、大手マスコミが手をつけてこなかった対象に果敢に切り込んだ姿勢はやはり賞賛に値するのではないでしょうか。本書をきっかけにして新聞やテレビでも積極的に日本会議を取り上げるようになったのは歓迎すべきことだと思います。
安倍政権の反動ぶりも、路上で巻き起こるヘイトの嵐も、『社会全体の右傾化』によってもたらされたものではなく、実は、ごくごく一握りの一部の人々が長年にわたって続けてきた「市民運動」の結実なのではないか?(p220)
本書の目的は以上の仮説を裏付けるところにあります。「社会全体の右傾化」という見方に対する否定的な論考は中野晃一が政治学の立場からすでに提示していますが、本書は日本会議の活動をとおしてそのエビデンスを示す試みです。
取材拒否した者は別として関係者へのインタビューはもちろんのこと、関連資料を徹底的に読み込んだ分析には目を見張るものがあります。目的は充分に成就されているのではないでしょうか。
菅野によれば「ごくごく一握りの一部の人々」には主に三つの系統があります。一つは椛島有三率いる「日本青年協議会」および「日本会議」のライン。二つめは伊藤哲夫率いる「日本政策研究センター」のライン。三つめは「生長の家」のライン。
私は漠然と神道系の人々が主導している運動なのかと思っていたけれど、そうではない。日本会議には実に多くの宗教団体が集結していますが、実務を取り仕切っているのは生長の家の関係者なのだといいます。ただし現在の同教団は路線を転換していて政治運動からの撤退を公言しています。日本会議に関わっているのは当初の教えをそのまま踏襲している人々です。
日本の「右傾化」の動向を宗教思想的な見地からみる場合、戦前からの流れで神道との結びつきを重視する見方が幅をきかせてきたことを考えれば、そのような情勢分析の紋切型を相対化する意味で本書の「研究」は極めて貴重ではないかと思います。
日本会議の運動は左翼の運動手法を真似たもので、それを息長く続けてきたことで成果を生み出してきた、と菅野は指摘しています。計数管理能力に秀でいる点に言及している点も刮目に値するでしょう。
小異を捨てて大同につくという原則に徹しきれない今日の野党共闘やリベラリストたちの迷走ぶりを見るにつけ、日本会議の地道な手法には学ぶべき点も少なくないのではないかと思った次第。
なお裁判所より一部削除を求められて応じた修正版が2017年1月に刊行されました。(ちなみにその司法判断については、もっと悪質なデマや中傷が世に出回っていることを考えあわせるならば、極めて説得力を欠いたお粗末なものと私は考えています。)
この一文は初版本を読んで書いたものです。
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