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安心を求めてはいけない!?〜『嘘の真理』

◆ジャン=リュック・ナンシー著『嘘の真理』(柿並良佑訳)
出版社:講談社
発売時期:2024年5月

「なぜ嘘をついてはいけないの?」と子どもに聞かれたら何と答えたらいいでしょうか。そもそも嘘はすべていけないものだと言い切れるでしょうか。そういえば日本では「嘘も方便」という格言がありますね。

フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーが「嘘」について哲学する。哲学といっても本書は子どもを対象にした講演と質疑応答から構成されているので、字面的には難しいところはまったくありません。

「嘘が持っている本当の側面、嘘の真理というのは単純ではありません」。──開巻早々そのように宣言される「嘘の真理」とは何でしょうか。

「嘘の真理」をめぐる思考は、まずは「信頼」の問題へと連結されます。「嘘をつくときは、誰かへの信頼を引っ込めている」のだと。

 信頼はほとんど矛盾するようなことを、矛盾ではないにしてもとにかく結び付けがたいことを要求しているわけです。一方では保証がないということ、つまり確信の得られない確信、そして他方では、何が本当なのかを自分で問うことができること、この二つです。どこかに隠されている真理を捜査して見つけるということではありません。そうではなくて、真理が限りのあるもの、輪郭のはっきりしたものとして示されることはおそらく決してない、ということを知るのが大切なのです。(p30)

そこからさらに「〜イスム」やイデオロギーの森へと分け入っていきます。

 ……完全無欠な体系として機能することを目指すすべてのものに対して、それが意図的かどうかはともかく、嘘なのではないかと疑ってかかる必要があります。体系があまりに硬直化してイデオロギーに変わってしまうのには、私たちの意図や意志がたいてい一役買ってしまうのだとしても、です。今日、イデオロギーはおそらく、必ずしも意図されたものではない嘘がとる形の一つですが、しかし、そうした嘘の目的は大きな集合体で私たちを包み込むことであって、この集合体もやはり、風船のように膨れ上がって何か大きなアイディアがあるかのように見せかける空理空論なのです。(p41〜42)

安心を求めてはいけない。そんなとき、人は「信じやすい状態」に陥りやすいといいます。「嘘はいつでも自分自身を安心させるための誘惑」なのだから、安易に安心を求めることをみずから禁じなければならないのです。

私にはいささか退屈な読み味でしたが、すべての大人の読者がそうに違いないとは言い切れません。そもそも嘘について一般論のレベルで論じ切ることはむずかしいに決まっています。とはいえ嘘をめぐる本書の考察をつうじて人間関係や共同体のあり方を再考する契機にはなり得るかもしれません。

訳者の解説によるとフランスでは子どもの時から哲学に触れる機会が多いらしい。それじたいは素晴らしいことです。日本ではもっぱら反動的な為政者たちが称揚するような「道徳」を押し付けられているばかりですから。

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