近過去の中に現在を見る〜『DJヒロヒト』
◆高橋源一郎著『DJヒロヒト』
出版社:新潮社
発売時期:2024年2月
我々はどこから来て、どこへ行くのか。その疑問は古来、多くの人間をとらえてきました。その場合、歴史の探究に向かうのが常道といえます。我らが高橋源一郎もその問題に行き当たりました。歴史に向かうといっても近過去です。文字どおり自分たちが生まれてきた時代、さらにその直前の時代にさかのぼります。そして出来上がったのが『DJヒロヒト』。高橋にとっては六年ぶりの長編です。
高橋は日本経済新聞のインタビュー記事で「過去を切り捨てたら、根のない薄っぺらいものしか書けない。ものを作るには過去を知る必要がある。……戦争のことを知りたくなって、親の話を聞いておけばよかったという悔いが出てきた」と述べています。作家にしてはあまりにも素朴な物言いにこちらが戸惑うほどですが、その思いがそのまま本作の大きな構えにつながっているのは確かでしょう。
何しろ登場人物の顔ぶれがすごい。実在した固有名詞が豪華絢爛に作中を彩ります。
南方熊楠、仁科芳雄、朝永振一郎、湯川秀樹、夏目漱石、大岡昇平、北杜夫、小田実、金子文子、林芙美子、寺田寅彦、室生犀星、折口信夫、志賀直哉、森鴎外、武田泰淳、古山高麗雄、井上靖、中島敦、古関裕而、石川達三、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛、小林多喜二、永井荷風、アンドレ・マルロオ、アルベルト・ジャコメッティ、ジャック・ラカン、ヴェルネル・ハイゼンベルク、ウォルト・デズニイ、サッチモ、スカルノ、マレエネ・デトリヒ……。
現代に伝えられている史実のなかに虚構がちりばめられます。現代のモノが過去の挿話にさりげなく紛れ込んだりもします。
大正大震災を門司港で体験することになった折口信夫が船室のベッドについている壁掛けテレビで緊急地震速報を見るかと思えば、戦前パラオに集まった研究者たちはユニクロのジャージーを身に付けていたり……。
戦後民主主義の観点からしばしば批判の対象となってきた天皇裕仁も、ここでは生身の善良な人間として立ち現れます。肉声で国民に語りかける機会を奪われた天皇ヒロヒトがエンディングで示す振る舞いは、いかにも高橋らしい創造力の賜物といえましょう。とはいえ続編もありうる余韻を残してもいます。高橋源一郎の集大成的な仕事はおそらくこの後も続くのではないでしょうか。
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