読後感はそんな「いやな感じ」でもないよ〜『なんかいやな感じ』
◆武田砂鉄著『なんかいやな感じ』
出版社:講談社
発売時期:2023年9月
ずっと「なんかいやな感じ」につきまとわれてきたというのですが、その元凶はわからない。「どんなことが起きようとも、未来を見つめてみるという伝統芸があたかも斬新であるかのように受け取られている様子」を見て「やたらと過去に執着する性格」の武田砂鉄は近過去を問うという視点を導入します。
宮沢喜一政権の「生活大国5か年計画 地球社会との共存をめざして」という経済運営の方針やら森喜朗元首相の「神の国」発言やらをあらためて思い出し、当時から続く「いやな感じ」に輪郭を与えようとする。
〈ドーハの悲劇〉のゴールキーパー松永成立のプレーについて今さらながら言及するかと思えば、統一教会の合同結婚式の様子をワイドショーで見て「マインドコントロール」なる流行語を使っていた日々を回想したり。
小学生の頃、学校を休んだ時にラジオから聞こえてきた大沢悠里の声。大人になって大沢の番組に出演、目の前に座ってその声を聴いた時の感慨を記しながら宮本常一の『忘れられた日本人』を想起する話の運びは悪くありません。「声の力は大きい」。
そうした随想のそこここに武田らしい箴言がちりばめられます。
「双方向性」という言葉を「それは大抵の場合、片方に有利な仕組みになっており、いずれかの優位性を隠すようにその言葉は使われている」と喝破する。名指しされているわけではありませんが、インターネットを想起すればそれは納得できます。
マスメディアの常套句「こころの闇」に対しても「心なんておしなべて闇」、「不透明な現代」というお決まりのフレーズについても「時代は常に不透明」と一刀両断。こうした書きぶりはデビュー作『紋切型社会』からつづく芸風でしょう。
むろん、ところどころ異論を挟みたくなる箇所もあります。一つだけ記せば、菅直人の掲げた政治理念「不幸最小社会」を「一種の開き直り」とする寸評にはあまり賛同できません。実践できたかどうかは脇において、それはそれでひとつの政治のあり方を示した見識だと私は思うので。
全体をとおして近過去から続く「いやな感じ」に何とか言葉を充てがおうとする試みながら、読後感にあまり「いやな感じ」が残らないのは本書の美質というべきでしょう。それは何よりアイロニーや批評精神を半ば著者自身にも向けているからに違いありません。「なんかいやな感じ」を醸し出す時代を自分もまた生きてきたのだという自覚が本書を知的なものにしているのです。
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