『愛の不時着』 封印されたエンディングーー「NHKアナザーストーリーズ」所感ーー
※ネタバレあります※
先月半ばにNHK BSプレミアムで放送された「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」は、『愛の不時着』制作の舞台裏に迫った。タイトルは「愛の不時着〜国境を越えた大ヒットの秘密〜」。(放送日時2021.10.12(火)21時〜、再放送10.21(木)8時〜)
この番組で流されたインタビューの中で、監督のイ・ジョンヒョの口から、『愛の不時着』のエンディングは当初の予定とは違うものになったという事実が初めて明かされた。私は『愛の不時着』のエンディングについてかねてから思うところがあり、noteにも書かせていただいている。そのような経緯もあって、この番組を非常に興味深く視聴した。
さて、エンディングについて監督が明かした内容は、おおむね次のようなものである。
『愛の不時着』には一つだけ想定外のパートがあったが、それはエンディングである。実は当初のシナリオでは、スイスでの再会とは全く違うエンディングになる予定だった。それは、38度線に近い開城工業地区で、2人が遠くから見つめ合うというものだった。地味過ぎるしあまりに切ないけれども、南北朝鮮の関係を考えると、リアリティーのある終わり方としてはそれが関の山だった。ところが、セリの不時着の7年前にセリとジョンヒョクが運命的に出会うスイスのシーンを撮る時(そこから撮影が開始された)、同行していた脚本家のパク・ジウンが、急遽ラストシーンもスイスにしたいと提案し、その要請に応える形で撮影されたのが、実際に使われたエンディングであった。
上記のような顛末を語った後、イ監督は、「あ、これ、初めて言ったな。大丈夫かな?」と多少困惑気味に照れ笑いする。
このことに関連して、主演のソン・イェジンのインタビューが映し出される。彼女は、脚本ができていない状態で、どのような感情で2人がスイスで再会するのかわからなかったため、エンディングのシーンを演じるのが一番大変だった、苦労したと告白する。
このような撮影秘話を知って、私は改めて、スイスでの再会というエンディングは、ラブストーリーとしての夢や希望を優先したもので、結果的に多くの視聴者にとって心地良いものになったのだと感じた。
もしもリアリティーを重視し、当初のシナリオ通りのエンディングにしていたなら、見終えた視聴者の心に、何かザラっとした感情を残したであろうことは想像に難くない。私たちがどこか安心して、ある意味気楽に繰り返しこのドラマを見たくなるのは、エンディングにリアルよりも希望が託されたおかげなのだろう。その意味では、勘の良い脚本家によって、希望に満ちた最高のハッピーエンドが創出されたと言えるだろう。
たが、そういった視聴者受けや興業的な成果とは別の、作品としてのリアリティーや重厚さといった視点から考えると、開城工業地区を舞台にしたエンディングであっても、それはそれで感慨深いものになっていたのではないだろうか。あの優れた制作スタッフと俳優たちのことだ、どのような形であれ、何かしら工夫をこらし最善を尽くして視聴者に感動を与えてくれたのではないかと思う。実際に採用されたエンディングに少なからず物足りなさを感じる私は、そんなリアルなエンディングも見てみたい気がする。今より少し重くて悲しいけれど、別の感銘をもたらす『愛の不時着』。まさに「アナザーストーリー」だ。
これはあくまでうがった推測に過ぎないが、イ監督がこの番組の中で、エンディングにまつわる舞台裏と、当初予定されていたエンディングの内容を語った胸のうちには、スイスでの再会という絵に描いたようなハッピーエンドがベストな選択だったのかどうかを自問自答する思いがあり、それが熱心な取材に応える形で思わずこぼれ出てしまったのではないだろうか。
インタビューに答える人々からは、俳優・監督・脱北者・ジャーナリスト等の立場の違いはあっても、おしなべて南北朝鮮の分断という厳しい現実に対する、当事者としての強い問題意識が感じられた。
イ監督は、「世界でも珍しい分断国家を舞台に、その厳しい現実を、ラブストーリーとしてドラマチックに描くことで解きほぐす、そんなこと、考えてみたら韓国ぐらいでしかできませんよね。だからこそ世界中の人が見てくれたんだと思います」と語る。この言葉からは、優れたエンタメを創り、世界に配信する韓国の人々の根底にある確固とした信念のようなものが感じられる。言わば、エンタメの力であらゆる「分断」を乗り越えようとする信念。それは、例えば人種的な差別に対するBTSのメンバーの発言からも感じられるものだ。
そんなことを考えさせてくれる印象深いドキュメンタリー番組であった。
ちなみにこの放送回の見逃し配信は、現在のところ予定されていない。その理由は、関係各位の承諾が取れていないからだとNHKの窓口は言う。南北朝鮮の緊張関係を考えると、それだけセンシティブな内容であったし、そのような内容にあえて切り込んでいく制作サイドの情熱と、ブームが落ち着いた今だからこそ実現可能となったであろうこの番組を放送したNHKに、心から敬意を表したい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?