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誰かひとり足りないよ
3歳のわたし
太陽がカンカンと照りつける夏の庭にしゃがんで
何時間でもミミズを見ていた
ジョウロでチョロチョロと水をかけたり、時々小枝の先でつついたりしながら
「あれ?誰かひとり足りないよ」
お兄ちゃんも、年子の弟もいる
今日も、大人たちが「愚連隊」と呼ぶ近所の腕白坊主たちと、元気に遊びほうけている
お父さんもお母さんもいる
でも
この家の中には、誰かひとり足りないよ
5歳のわたし
子どもには広々と感じられるお便所の中で、
たたきの上をモソモソ動いているダンゴムシを、指先でツンツンする
するとダンゴムシは、平たい体をフッと丸める
球体のダンゴムシを指先でコロコロと転がす
ダンゴムシは、転がった先でひっそりと丸まっている
しばらくすると、
ダンゴムシはそおっと体を伸ばして、またノソノソ這い回る
とっくに用を足し終えているのに、わたしはしばらくダンゴムシと遊ぶ
すると、不意に感じる
「誰かがひとり足りない」って
誰だろう?
誰がいないのかな?
7歳のわたし
晴れて小学一年生だ
このころ、お母さんは、いろいろなことをわたしに語って聞かせるようになった
今のお兄ちゃんが生まれる前に、生後3日で亡くなったお兄ちゃんがいたこと
その前にも、またその前にも、お母さんのお腹には赤ちゃんが宿っては流産してしまったこと
中でも、3日間生きて、栄養失調で亡くなったお兄ちゃんのことは詳しく話してくれた
利発そうな顔をした、きれいでかわいい赤ちゃんだった
けれど、やせて青白く、泣き声に力がなかった
お父さんはまだ大学生なのに、年上のお母さんと結婚して、高等学校の講師をしながら何とか暮らしを立てていた
でも、食べ物を買うお金がなくて、給料日前には、景品の食糧を手に入れるために、なけなしの小銭でパチンコをした
運良くトマトケチャップが手に入った時には、新婚夫婦は小躍りして喜んだ
そんな生活だから、お母さんは栄養失調だった
もともと、体の強くない性質だったことに加え、戦中戦後の食糧難もこたえていた
2度の流産を経て、睦み合う若い夫婦にやっと授かった息子は、
母体の栄養失調の影響と思われる衰弱のため、
3日間両親に幸せを与えてから、おとなしく亡くなった
お母さんは飲み手を失ったお乳が腫れて、高熱が出た
息をしなくなった赤ちゃんを抱いて、熱に浮かされながら、部屋の中をぐるぐる回った
子守唄を歌いながら、一日中ぐるぐる回った
その姿を見て、お父さんは、一生この女を守り抜こうと、固く心に誓った
お父さんは、机代わりにして卒業論文を書いていた蜜柑箱に、赤ん坊の小さななきがらを入れた
そして、借りてきた大八車に蜜柑箱を乗せて火葬場まで引いてゆき、自分で荼毘に付した
お母さんのたっての願いで、亡くなった赤ちゃんは長男として戸籍に登録された
そんな話を聞いて、わたしは思案した
足りないのは、3日で亡くなったお兄ちゃんだったのかな?
それとも、もっと前の赤ちゃんの誰かかな?
そうじゃないなら、一体誰だろう…?
座敷童子が、恥ずかしがって隠れてるのかな…。
10歳くらいになると、
もう、「誰かが足りない」と感じることはほとんどなくなっていた
「7歳までは神の子」というけれど、不思議な世界との通路が閉じてしまったのだろうか
それでも、幼いわたしがずっと、「誰かが足りない」と感じ続けていたことは、明確な記憶としていまだに身体のどこかに留まっている
そして、最近また、心なしか、不思議な世界との回路が活性化しているように感じているのだ