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本日も堂々と人見知り


人見知りがひどくて、時々自分が嫌になる。
適度に愛想をふりまいて、みんなから好かれながらのぼりつめていく人を見ると、正直うらやましい。たいして仕事ができなくても、周囲の人たちの力を上手に借りて並みの成果を出す。そんな人を見るたびに、「ああ、自分もこんなふうだったら」とため息をつくこともある。(少し嫌味)

それに比べて私は、愛想よく答えるのが苦手だ。その場の空気を読めなかったり、逆に読みすぎて疲れ切ってしまうことが多い。だから自分から話しかけることは滅多にない。

この性分に生まれた以上、仕方ないよね。学生の時に一度、明るく振るまおうと頑張ったことがある。声のトーンを上げて、笑顔を絶やさず、元気な人を演じてみた。だけど、それは思いっきり体力と精神を消耗するやり方で、無理だった。


そのせいで、出会いのチャンスは人よりも少ない。ついでに、仕事をもらえる機会も少なかった。
親からは「大人しくて損をしている」と言われ続けてきたけれど、私にはそれがどうにも克服できなかった。

ニコニコ笑顔であっちにもこっちにも応えるのも、正直なところ苦手。興味のない話に「うんうん」と相づちを打つのは、気力を吸い取られる。話の内容が表面的で大したことじゃないほど、疲労感が増す。付き合いとしてその場にいるだけでも、体力消耗。

私が本当に求めているのは、大切な人と有意義な時間を過ごすこと。それに、仕事の場なら、ただ「いい仕事」をしたいだけだ。



人と話すとき、自分の心の中では返答がちゃんと浮かんでいる。でも、その言葉が胸の辺りでぐるぐると回り続け、口に出すのが遅れてしまう。
相手の言葉は理解できるし、その顔色や声のトーンから気持ちも読み取ろうとする。けれど、言葉と表情の両方を噛み砕いているうちにタイミングを逃してしまい、会話のキャッチボールがうまくいかない。

そのせいで、「控えめ」という印象を与えることが多い。それが良い意味で伝わればいいけれど、時には「違和感」というマイナスの印象にもなってしまうことがあるのだろう。


ただ、私は自分の性格について少しは理解している。考えを深く突き詰めたり、相手のことを十分に考えて付き合っていくほうだと思っている。軽率なことを言うよりは、自分らしいやり方で誠実に向き合いたい。

けれど、世の中には明るく振る舞いながらも、地味に失礼なことを言う人がいる。
例えば、気にしていることを平然と直球で指摘する人。悪気がないのかもしれないけれど、それを言われたときの気持ちは忘れられない。こうした経験から、言葉選びはとても必要だと思ってしまい、受け身になってしまう。


会社勤めをしていた頃、この人見知りな性格が大きな壁になった。自分を表現できず、やりたいことをやらせてもらえないことが多かった。苦手な人がいると、必要なことさえ言い出せなくなる。
それに朝・昼・夜と規則正しい生活リズムも、私には合わなかった。頭の中ではやりたいことがあっても、それを実行する場がない毎日だった。

そんな私にとって、フリーランスという働き方は自分を活かせる最高のスタイルだ。頭の中で思い描いていることを試し、自分のペースで成果を出せる。体調や気分に合わせて仕事の時間を調整できるんだし。

人見知りであることは、確かに生きづらさを感じる瞬間も多い。でもこの性格だからこそ、フリーランスとしての働き方を選び、自分の力を発揮できる場を見つけることができたから、とてもラッキーだ。

コツコツと頑張った自分にごほうびを何にしようか
考え中。

賞与がないんだから自分で与える。

実はもう買っちゃった。
新しいiPhone
明後日届くかな。

楽しみ・・・


本日も堂々と人見知りを極めたよ(拍手)
人見知りだっていいよね、死にやしないんだから

















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