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地図のない森の安全基地

「仁香ちゃんの安全基地ってどこ?」まだ独身だった頃友人に問われて言葉に詰まった。「……ない」と心の中では即答したが、それを口に出せずもやもやと言葉を誤魔化した記憶がある。私はその時「安全基地」という言葉を初めて聞いたけれど、それは今から40年ほど前にアメリカの心理学者が提唱した概念で、今では子育て講座などでもよく使われる言葉だ。

子供は、母親や身近の保護者を安全基地のように感じられると安心して外の世界に目を向けて探検するようになる。危険信号を感じると安全基地に戻り、落ち着くとまた外に出る。それを繰り返すことによって、自立して自分の力で外の世界で生きていくようになるというのが「安全基地」だ。そう説明を受けて、後で自分でも調べた。

件の友人は、「私にとっては旦那なんだよね。で、Yちゃんに聞いたら「実家」って言ってた」という。安全基地たる実家も夫もその時の私にはなく、荒涼した風が心を吹き抜けていった。

その頃、私はシナリオライターをしていていつも2時間サスペンスの企画やプロットを考えていた。でも、実は習作時代に殺人事件などほとんど書いたことがない私には「殺人の動機」を考えることがとても難しかった。

「観ている人が、「ああそうゆう理由なら仕方がないね」と犯人に同情して泣ける動機を考えろ」というのが当時のプロデューサーからの指令だったのだが、内心「殺人犯に同情?」と疑問が拭えない。

それがきっかけで、私は「エニアグラム」という人の動機を深く探求する性格心理学を学び始めた。あまりに奥が深すぎてシナリオの仕事には間に合わず、私はその後ひどい不眠症になり挫折するのだが、エニアグラム(以下エニア)自体は私にとってはとても面白くて、かなりハマって勉強し、話はそれるが米国の「エニアグラム研究所」の公認ファシリテーターになっている。(全然教えてないけど)

エニアは性格を9つのタイプにわけることから勉強が始まる。私はその中のタイプ6だった。このタイプは「地図を持たないまま森に出かける」ような不安を根源的に持っていて「安心したいため」に様々な防衛をする、というタイプだ。(かなりざっくりです)

学んでいて、「私はこれまで、「安心」したくて足掻いていたのだ」と気づく瞬間があった。わあわあ泣いたことを今でも覚えている。誰よりも「安全基地」を求めているのに、ない。それを得る術も知らない。まさに地図のない森で迷子になったような感覚は子供の頃からとても親しいものだった。

それからエニアのトレーニングや表現を通じて私は徐々に自己肯定感を回復していった。やがて結婚を決めた時、「安全基地ってこれか」と思った。夫はそれまでの私が好きになった人とは全然ちがうタイプだったけれど一緒にいて楽だった。安らぎがあった。

親になり子供を授かって、私は「子供の安全基地になろう」と決めていた。子供が安心して冒険できるように。辛いことがあって泣きたくなった時、安心して泣ける場所になろう。

私の実家は自営業なので、両親はいつも忙しかった。鍵っ子だった私は家に帰っても誰もいない気楽さを満喫していたけれど、お母さんがおやつを用意して待っている友達を羨ましく思うこともあった。今でも覚えているのは、学校で何か揉め事があって帰った日のことだ。自分で鍵を開けて、がらんとした家に戻る。マンションの6階だったその部屋のリビングからは灰色の空が見えた。誰かに抱きついて泣きたかった。でも、誰もいなかった。私はスカートを握り締めて母を待とうと思った。

夕方遅く帰ってきた母は、どことなく機嫌が悪くあわただしく夕飯の準備を始める。声が尖っていて、とても今日あったことを話す雰囲気ではなかった。母のエプロンを引っ張って視線をこちらに向けてもらいたい気持ちを抑えて、母が爆発しないように気を使いながら手伝いをした。

「誰も守ってくれないんだなあ」自分が、悲劇のヒロインか何かになったような気持ちになっていたことを覚えている。私に安全基地はなかった。シナリオ、カウンセリング、エニアグラム、占星学にタロット。それらに私はずいぶんのめり込み、どれも「教えていい」とお墨付きをもらっている。無意識のうちに、安全基地を求めていたのだろう。全てが無駄だったとは言わないが、ずいぶんたくさん回り道をしてしまった、という思いは今も残る。

そんな思いを自分の子供にはさせたくなかった。安全基地を求めてさまよう旅をさせたくない。最初から、やりたいこと、なりたいものにまっすぐ手を伸ばして欲しい。そう思って接してきた。

長男が2歳になるかならないかの頃、私たちはよく新宿御苑に出かけた。お気に入りの場所だった。そこに行くと長男は、どこまでもどこまでも走って行ってしまう。振り向かない。どこまでも走って行っても見通せるのが御苑のいいところなのだが全く振り向かないので、将来を心配して夫に言った。「あの子、この先大丈夫かな。確かめないでどんどん行っちゃうよ。大人にになったら危ない場所とかにもどんどん突き進んでいっちゃうんじゃないかしら」

「違うよ。ありゃよっぽど俺たちを信用してるんだ。無謀なわけじゃない。パパもママもどこにも行かないって、安心しきってるんだよ」

嬉しかった。

覚束ない時もあるけれど、なんとか、やれているみたい。

あれほど自己評価が低かった私が、自分の子育てに○をつけることができた瞬間だった。

これからも、私たちは地図のない森を歩いていく。時代も、そんな時代になってきた。だからこそ、いつまでも安全基地でいようとする努力を続けようと思う。


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昌子仁香
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