アンズ飴 その14
彼女に電話をかけた、案の定出なかった。分かっていた。二人のいまの状況を理解しない男、ストーカー予備軍の背筋が寒くなる男としかみえないだろう。
親切心から電話している訳ではない、ガラにもなく正義からかけている。明日も電話しようと思う。いつまで続けるかは分からない。彼女はしばらくしたら諦めると思っているだろう。諦めたダメような気がするから、僕は電話をから続ける。諦めたら彼女を見捨てることになる。坂道を転がり落ちてしまって、底の底まで行ってしまうのならしょうがない。僕には助けられない。風俗店へ会いに行かない。風俗店で働いている元カノに偶然出会ったいうのはAVの定番のシチュエーションだが、偶然ではなく分かって会いに行くことに成るのだからたちの悪い。――君とのSEXが忘れなくて会いにきた――SEXをお金を払ってまでもう一度したいから店にまで来た元カレ。笑えない冗談と思う。
それから四日、メガネの彼から聞いて五日間電話の呼び鈴を鳴らした。一週間続けてから止めるべきか、五日間電話したんだからもういいか。教室で最初に言ったようにメールを送って止めようと考えた。彼女が僕からの▽▽さんへに注意喚起メールを読むか読まないかは気にしないことにした。読まないで坂道を転がり落ちようと、読んで坂道を転がり落ちようと、彼女が選んだ人生だ。彼女の全責任だろうし、彼女の自由だ。
メガネの彼から聞いた話をそのままメールに書いて送った。
二度目のバイバイ、のつもりで……。
一ヶ月後、彼女の方から着信がきた。
僕は最初の着信に気づかなかった。二度目の着信も気づかなかった。それには理由がある。着信だけ確認して、ウチに帰るまで電話を返さないことにした。帰ったゆっくり電話をすればいい、今度は彼女も電話に出るだろう。
その頃僕は一人暮らしを始めていた。完全に一人になれた自由は他に代えがたい。同時に、学費や生活費のために引っ越し会社のバイトも始めた。寝に帰るだけの部屋になってしまったのが計算違いだった。
バイトから帰ってきてシャワーを浴びていたら、ケータイが鳴った。シャワー中だったが三度目の正直で彼女からの電話に気付き、画面に彼女の名前を確認すると同時に電話に出た。
「もしもし…、いま、電話大丈夫?」
「うん、久しぶり。電話くれたんだね」
濡れた身体を急いでタオルで拭きながら話す。
「一ヶ月前に電話、毎日くれたでしょ。最後は最後通牒のようにメールだったけど。だから電話で話そうと思って」
「そうなんだ…。電話して大丈夫?」
彼女の隣で受話器に耳を付けて聞いている▽▽さんの姿を想像した。
「私の部屋、私一人で電話してる」
「劇団の方はどう? 楽しい?」
直接▽▽さんとのそのあとを聞くより、芝居を続けているかを聞いてみた。関係性が深まっているのか、別れたのか分からないから。
「劇団? もう辞めた。**君が心配してくれた▽▽さんとも別れた」
彼女のことを心配していたので、緊張の糸も緩む感じがする。まだ半乾きの身体が寒く感じられた。
「そう、…きれいに精算できたの?」
「そのことだけど、顛末を聞きたいと思って。すごく心配してくれてたんでしょ?」
「待って! いま、さっきまでシャワー浴びてたんだ。着替えるから時間ちょうだい。五分後にぼくの方から電話する。いい?」
「あっ……そうだったんだ、ごめん。うん、分かった。じゃあ、私に方から五分後に電話するよ。じゃあまた」と彼女は電話を切った。
僕は急いで下着とパジャマ代わりにスウェットを着て、喉も渇いていたので水を一杯飲んだ。彼女からの電話は正確に五分後にきた。
「もしもし、着替え終わった」
「着替え終わったよ。君のほうは何かする用事は済ませた?」
「私は特になにも用事はない。一人でリラックスして**君に電話してる」
僕は何だか笑ってしまって、声がもれた。
「なに笑ってるの?」
「約一年前はいつもメールで連絡を取っていたなと思って。当時から君は僕からの電話に出なかったし、電話で話すときはいつも君から電話だった。変わらないなと思って、僕たち」
「そうだった? 私、電話長いから。約束とか連絡事項はメールの方が良いと思って」
「そういうところあったよね。何時いつ、何所の公園に行こうとか。予備校の課題はどんなだっけ? とか、メールで簡単に連絡取り合ってた。電話で話すときは、一時間でも二時間でも三時間でも、終わりなく話してた。二時間の電話で同じ話を繰り返してしていたこともあった」
「あった? 同じ話をしていたのは**君だったよね」
「だったかな…。三時間の電話の時に、僕、途中で居眠りしたのは覚えてる。もしもーし! て君に起こされた、け」
「そうだよ。あーこの人は、二時間以上の長電話はダメだな。途中で寝ちゃうんだなて。電話に付き合うのも優しさだよ。新しい彼女の電話は何時間でも付き合ってあげなさい」
「うん、そうする。…ところで、▽▽さんの元を離れた顛末は、どんな風だったの?」
彼女との昔を懐かしがってもしょうがない。もう僕たちは元には戻らないんだし。昔話しで笑うには、時間がまだ遠くに過ぎていない。未練がましい言葉が無意識に出るかもしれない、から。
「**君からのメールを貰ったとき――普段から一度は読んでるんだよ――▽▽さんへの悪口半分に受け取ったのね。▽▽さんのこと心から信用していた訳じゃないけど、芝居の稽古も付き合ってくれて、沢山褒めてくれて、いろいろな芝居を一緒に見に連れて行ってくれて、一番信用していたのは確かだった。しかし、君からのメールにあったように、ある日、風俗店で働くように言われた。苦しい劇団を助ける働き口として、沢山お金が貰える仕事だった言われて。最初、キャバクラか赤羽のガールズBarかなと思ってたんだ。でも風俗だった。こっちの方が短時間でいっぱいお金が貰えるし、お酒を無理して飲む必要はないし、キャバクラのようにノルマはないし、同伴、アフターもないから、易しいといわれた」
「やさしい…。手取りの金額なんかも君に言っての?」
「金額は……、聞いたと思うけど忘れた。まあ、毎日10万、20万になるとは限らないとは言ってた。お茶挽く日もあるからともね」
「お金は君が全部日当として貰える話しだった? ▽▽さんが一旦受け取って天引きするようなことは言ってなかった」
「んー、**君もメールに書いてあったとおりなら、▽▽さんは紹介料を受け取るってことじゃない。そのことはいいのよ、話しだけで終わったから。どうしようと困って、わたし。相談できる人がすぐには思い当たらなかったから、一年前の、妊娠の責任があると思っているあの時の男に電話してみたの。彼、キャバクラとか風俗なんかで遊び慣れている感じだったから。詳しいんじゃないかという想像と、蛇の道は蛇っていうでしょ、毒をもって毒を制すじゃないけど、風俗に行かなくて済む方法を教えてくれるんじゃないかと思って」
「蛇の道は蛇て…、彼って、半○レみたいな人?」
「そこまで危ない関係じゃないよ。遊び慣れていて、そういった方面の知り合いも知っているみたいなことを前に言ってたから。詳しいこと詳しいんだろうなーとこっちが勝手に想像していただけ」
「で、本当に詳しかった? 助けてくれた」
キャバクラでバイトしていたときに知り合ったんだろう。店外デートの延長でプライベートでもカップになって、SEXして妊娠した。社会勉強としては、普通から言えば過激だな。
「電話したら、あの時は悪かったって。子供は認知できないからあんな態度をとったけど、いまでも私のこと好きだし忘れられないって言ってきた。わたしは復縁するつもりはないと断った上で、▽▽さんから言われた風俗店での仕事のことを相談したの。そうしたら、分かったて。子供の認知も、中絶への同伴もしなかった罪滅ぼしだって。自分に任せろって」
「▽▽さんに直接会って話しをつけてくれたの?」
「分かんない。体験入店の日の昼かな。午前中かな、▽▽さんから電話がかかってきて、風俗店に行かなくて良いからて。君の元カレは○○○か半○レなのかとか、むにゃむにゃ電話口でいってたけど、自分のメンツが潰されたとかもぐちゃぐちゃ言ってたけど、電話の最後はもう君とは会うことはないし、自分の方から連絡もすることはないって。劇団を続けるかは、わたし次第だからと言って向こうから電話を切って終わり」
「へーぇ……。なんとか悪い方向に向かわなくて済んだんだ。子供の元お父さんには、その後連絡したの? ありがとう、て連絡とか」
「すぐにお礼は言った。良いよって。罪滅ぼしだから、て。さらにお礼がしたいって気持ちがあるなら、もう一度デートしようと言われた。男って、懲りないんだか、忘れっぽいんだから、困ったもんだよ」
「じゃあ、お礼のデートはないんだ」
笑うところだと思って、僕はククっと受話器に伝わるように笑った。
「おかしくないよ。笑いながら聞いてた?」
「いや、笑いながら聞いてない。真剣に聞いてた」
「……というわけ。▽▽さんとの顛末は」
「これも、君の社会勉強ということかな」
「社会勉強にならなかった。脱輪か脱線した感じかな。でも、思いがけない社会経験ができたかな」
「僕には想像すらできない社会経験、人生経験だと思うよ。僕は▽▽さんのようにも、子供の元お父さんのようにも行動できないから」
「そうだね、**君には無理だね。もともと臆病な質だもんね」
「そう、僕は基本、怖がりだから。自分の性格を石橋を叩いて、叩いたあと崩れないか、さらに一日用心して見守ってから渡るタイプだと分析してる」
「あっはっはっ! そこまで臆病だったけ」
彼女が楽しそうに笑った声が受話器から聞こえた。
「大変だったね。劇団は続けるの?」
「劇団も辞めた。正確には▽▽さんからの電話を貰ったあとから行ってない。劇団からも電話がないから、除籍になったんじゃないかなと思う。芝居は続けたかったんだけど、別の劇団で再出発というのもねぇ。なにか狭い世界のようだし。▽▽さんが業界に有名人だったら、私もなんとなく知られたいるかもしれないじゃない。どう扱われるか知れたものじゃないから、芝居諦めようと思って」
「そうなんだ。状況としては半年前、一年前の大学入学当時に戻っちゃったんだ。これから、興味の趣まままた行動するんだよね。今どんな部活、同好会に興味があるの?」
「そうだなー、…………」
彼女とそのあと前のように三時間話した。バイトで疲れていたけど、彼女と久々に話せた高揚から居眠りをせずに話し続けた。ただの友達、ただの男友達として。
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?