見出し画像

残酷さの肩代わりをしてもらって生きながらえるということ



今日書くことは
ひとによって…
気分悪くなることかもしれない。
動物の生死のことなので。

大丈夫なら、読んでもらえると嬉しく思う。


下記の動画…
コメントに
かわいいヒヨコがバッタを食べるのが
ちょっと衝撃…と書かれていた。
たしかに少しショックかもしれない。

ヒヨコの動画↓


わたしの

昔、飼っていたヒヨコの生死の記憶が蘇った。


うちは農家だったが、子供のころ
縁日のヒヨコ3羽を、羽が全部白くなったくらいまで育てた。
大きくなっも、まだ少しピヨピヨいってて、可愛いかった。

ある程度大きくなると…
両親がヒヨコの段ボールを、うちのなかに置くのは許さなかったので、夜は外に段ボールごとおき、ふたをしめ、玄関のすぐ脇の庭に置いておいた。


夏だった…

ピギャーという声がして
行ってみると…

一羽いなくなっていた。

野犬にやられた。
当時は普通にいたのだ。

私はさがしたが
白い羽が散らばってるだけだった。

小屋を早く作ってもらえばよかったのだ。
親は作れる技能はあったが、忙しくて
なかなか作ってはもらえなかった。

あまりにショックが大きく
学校に行っても休み時間ごとに
トイレに行って泣いていた。


そう
でも、私は鶏肉を食べる。


学校の授業の見学で屠殺場に行ったときの
牛の悲鳴も忘れられない。
牛も自分がどうなるか本能的にわかるので、
悲痛な叫びで逃げようとする。

でも、私は牛肉も食べる。

私の祖父と祖母は
鶏をつぶしてさばけたそうだ…。

私は見たことないし、今はそんな場面を見る機会はないだろう。

今は機械化が進み
昔ほど人がかかわらないかもしれない。

それでも
食べられるようにしてくれる方たちはいる。


見たくないことを見ずにいられるのは
そういう方たちのおかげだ。


生き物が生き物を喰らう

当たり前のことだが、


肩代わりしてもらってるだけで
残酷さをも喰らっているのだ。

⬇︎こちらの動画はブロイラー

見るのはもっと辛い。

ヒヨコのうちに抗生物質ワクチンを打たれ、身動きもできず、せまい暗い部屋でひたすら大きくなり、死ぬか捌かれるかしかない。


いきなり
そんな残酷な場面を見たら
トラウマになるひとのほうが多いだろうか。一生実感せずにいても困らないかもしれないが。

でも
私はほんの小さなことだが、体験した。

トラウマにはなってないが
ひとも残酷なものなんだという意識がある。
私も残酷な人間のひとりだ。


でも
それが生きのびることだ。

自分のなかの非情で残酷なもの汚い醜いもの

を自覚すること…。

ブロイラーたちをもっとのびのびとした環境にして他の家畜もそのようにしたら、すべて値段が上がり、惣菜等も何倍の金額になるだろう。

自分から、家畜たちを救おうという運動を起こすなど、能動的には動けない。

生きるということは、ある意味残酷。

せめて、見なかったことにしてはいけないのだと実感している。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?