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着物日記②「夏着物をしまう」


簾から透けて見える青空に白雲 青い瓦 どこか盛夏とは違うさわやかさ

夏祭りの翌日、汗を吸った浴衣と家で洗える夏着物、襦袢、腰ひも、夏用の帯板などをまとめて洗う。襟元などの薄い汚れも丁寧に手で下洗いする。洗濯機にかけ、脱水は軽めに。八月終わりとはいえ、まだ強い日差しと風が吹く日に干せば、すぐに乾くだろう。この気持ちよさ。

乾いた着物類を畳む

外出して帰宅すると、家族がそれらを畳んでおいてくれた。自分でもう一度調べると半襦袢の脇が少しほつれていた。とうに亡くなった祖母が昔、母が若い時に作ったもので、長く箪笥の中に眠っていたのを、私が着始めて何度水をくぐったか。生地もくったりとやわらかく、着古したガーゼのような肌触りになっている。袖の先には昔ながらのレースがあしらってある。とっくに処分していいものなのだが、縫い目に祖母の手と目を感じて、できない。昔の母親が赤ん坊に手作りしたおしめとか下着のあたたかさ、やさしさ。
下着とはいえ、すべて丁寧な手縫いで、和裁の技術が使われている。祖母が農家の主婦としての仕事のほかに、和裁を業としていたことを知ったのは、つい数年前である。
針箱を出して、祖母の縫い目を見ながら、繕っていく。ほう、こんな風に縫ったのか、止めたのか、と学びながら。祖母の縫い目は私の和裁の教科書である。死しても人は師であれる、と知った。
私が着物を着るようになったのは、この祖母による。
何十年も忘れ去られていた桐箪笥をおそるおそる開いて、誰も手をつけない母の古い着物類を引っ張り出した。断捨離に貢献するという一心だった。それはすべて祖母の手によるものと知ったが、自分は着付けができないし、着る目的もない。母に処分していいかと問うと、元来洋服党ゆえ何の未練もなく、構わない、という返事。これ幸いと、ごみに出すべく部屋の隅に纏め、床に就いた。
その夜、何か目に見えない力が眠っている自分に働きかけたとしか思えない。
一夜でそれらの着物の運命は反転した。この経緯はまた別の機会に書きたいが、私が新たな着手となり、着物たちはまた箪笥にしまわれ、その後私と共に次々と外に出て日の光を浴びることになった。海や空を超えて、異国の人の眼にも触れた。

祖母は今も家族の着物の中に驚くほど強く生きている。それは祖母の着物への情熱である。祖母は無名の、当時日本中にいた着物を縫える女性の一人でしかない。しかしそれが本物の情熱だったことを、孫の自分がそれらの着物を着ることで肌で感じる。

誰も気づかない小さなほつれを直して、すべてを箪笥に戻した。

数日前に、やはり母の、もしかしたら祖母からのおさがりではないかと思う半幅帯を洗った。少し短いけれど、生成り色の地に茶色の太さの違う二本の縞がシンプルで、意外に現代的に見えるので気に入っていた。今までは文庫、貝ノ口や角出しなどで結んでいたが、今年は三重仮紐を手に入れたので、がんばって「リボンパタパタ」という結び方に挑戦してみた。このように着物や帯というのは受け継ぐ中で新しい着こなし、その時代ならではの着方ができることに醍醐味があると思う。祖母や母はけっしてこんな結び方はしなかったし、合わせる浴衣も全く違ったと思うと、感慨深い。

リボンパタパタ結び

これも浴衣に合わせて着られてきたことを思わせる、縞の染料が汗で大きくにじみ出ているのが気になっていた。他にも小さなしみがある。絹の水洗いは基本的に不可で、染料がまた落ちる可能性もある。しかしじゅうぶん使ったものなのだ。実験も悪くない。バケツの水に洗剤と漂白剤を少し垂らして、中につけて少し置いて混ぜ洗いする。流した水はやはり赤紫だ。何回もすすいでは流しを繰り返したが、最後まで水は赤みを帯びていた。あきらめて干す。
乾いてみると、予想した通り、全体において染料がにじんだ気がする。一部がにじんでいるより全体の方が返っていいだろう。遠くから見たらわかるまい。わかってもかまわない。それくらい、おおざっぱに、着物を日常として着たいと思っている。着ることによって汚れたり、破れた着物は手を入れてあげたい、そして最後、ぼろぼろになって着られなくなるまで着てあげたい。
理想の着物、着物のとらえ方は一人ひとり違う。私のような家族の「お古」など着る気になれない、着物は最高のお洒落であって、自分の嗜好を第一に高みを目指す人、しみのある着物や帯など言語道断の人もいるだろう。それぞれが追求していくのが服飾の広い世界。

洗ってアイロンをかけた半幅帯

乾いて皺の残る帯にアイロンをかけた。完ぺきではないが、気持ちがすっきりした。帯もまた、風呂に入ったように気持ちよさげに見えるのだ。
箪笥にしまう。また来年、新しい帯結びを試せるだろうか。

ふっと浮きあがった簾

昼と夕のあいま、畳んだ着物や帯に落ちる光と影が静かである。窓の簾の端がふっと、風に浮きあがった。ああ、秋が来ている、と感じた一瞬。

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