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不登校の子との向き合い方

大切な我が子が不登校になってしまったら、親はどうするのが正解なのでしょう?
その子や、環境、親子関係によって答えは様々。だからここで書くことはそうであるべきという事ではなく、こういう事もできたというたくさんある中の一つの選択肢にしておいていただければと思います。

その日は突然に…

ほとんどの親が、我が子の成長の過程に不登校や精神的な不安定さなどのネガティブな要素を想定しながら子育てはしていないのではないのでしょうか?
少なくとも私は想定していませんでした。いじめられたらどうするか、学校に馴染めなかったらどうするかは考えていたのですが、『不登校』は我が子に限ってあり得ないなんて考えていました。
我が子が休みがちになった少し前に、たまたま私の仕事の環境が変わり、家にいる時間が増えました。シングルマザーというのもあり、平日の昼間から我が子のそばにいられることはとても珍しく、我が子がとても喜んでいたのを覚えています。
生活のリズムも学校の時間に合わせられる様になり、そのタイミングで学校に行けなくなってしまったので最初は『甘え』てしまっているのかな?と感じてしまいました。生活習慣の工夫や、少し厳しくしてみたりなど本当の『行けない』理由に気づきませんでし。

我が子が不登校になった直後は、子供と私両方がとても苦しく、情緒も不安定になってしまいました。学校に行ってほしい、嫌な事から逃げないでほしい、親を信じてほしい…私の仕事の関係もあり毎朝通学班の時間までには我が子の気持ちを整えて送り出してあげたい…私も遅刻してしまう。焦りから「どうか今日だけはすんなり学校に行って」と願うも、そんな希望や願いはことごとく叶うことは無く、我が子の無言の抵抗、堪えるように泣く姿に心を砕かれすごく、すごく辛かったのを覚えています。

結局その時期は私の職場には事情を話し、遅刻や早退を繰り返すようになりました。職場に迷惑をかけてしまっている申し訳なさ、改善することのできない不甲斐なさが募り、この時期は私自身いっぱいいっぱいでした。どうすればいいか分からず、どうにもならず悲鳴をあげたくなる時に必ず思うことは、

『我が子が何よりも大切』
私が限界を迎えたら、とっくに限界に来ている我が子を見捨てることになる。それだけは絶対に嫌。

学校や職場にたくさん迷惑をかけながら一番悲惨な時期を乗り越えた気がします。その時たくさん相談に乗ってくださった職場の方々や、学校の先生方にはいくら感謝しても足りないくらい、本当に感謝しています。

この時はまだ少しでも希望があるなら学校に行こう。一歩だけでもいいから学校に入ろうと努力していました。
学校に行けても下駄箱から先に動くことができなかったり、校門の前で立ち止まったり、家の玄関で靴を履いたまま固まったり、数時間我が子がどうするか決めるまで待つことが毎日になりました。学校に行く時間の前には腹痛や吐き気でトイレに篭る事が多くなり、それでも状況は全く良くなることは無く、ただただ、苦しい1日を送るだけの毎日だという事に気づきました。また、テストの日だけでも学校に行こうねと登校するも校門の前に来た時に、自分の爪で両腕をたくさん引っ掻き『自傷行為』の始まりとも言えるような症状が出てしまいました。

これはただ『甘え』ではなく、もっと深い何かが原因だと思いました。
何度も我が子に向き合い、我が子が話し出したタイミングを逃さないように、ちょっとした会話全てを大切に、会話の中に散りばめられたパズルのピースを拾い集めるように、学校に行けなくなった理由を見つけ出し少しづつ繋げていきました。

集団生活へのストレス

ルールをしっかり守り、争いが苦手なタイプの我が子。小学校に入って規則やルール、約束など増えたことによって、『守らなきゃいけない』ことと、『守らない人がいる』ことが処理できず、守らない人に注意すると無視され、文句を言われ、そのうち仲間に入れてもらえなくなったりする事が多くなり徐々に居場所を失っていったのだと思います。

なぜ『思います』なのか?
今までスクールカウンセラーやメンタルクリニックへ通い、我が子の状態や性格、学校でのストレスの原因を相談してきましたが、どれもしっかりとした効果を見出せず。メンタルクリニックの先生においては、シングルマザーであることで心ない言葉を言われストレスを感じ、通うことをやめました。
診断名があればもっと簡単に大人達には伝わるのかもしれませんが、我が家においては特に意味をなさない為それ以上の事はしませんでした。明確な生活に支障が出るほどの『症状』がない限りは今後も行かないと思います。

我が子には笑顔でいてほしい。

最初の『不登校』から約1年弱、たくさん協力してくれる先生方には申し訳ないけれど、学校に行かない選択肢をとることにしました。

『居場所がない』ことがどれだけ辛いことか、そんなストレスを抱えているのに家にも居場所が無いなんて思ってほしくない。そう思いました。

ここに至るまでたくさんの葛藤、解けない謎を暗闇の中で何度も話し合い、何度も心が折れそうになりました。でも我が子を助けられるのは私だけ。私ならできる。そうも思いました。

この時やっと『学校に行かなくてもいいよ。』と心の底からそう言えました。行けなくなってたった1年くらいで早いと思われるかもしれませんが、我が子にはとてつもなく長く苦しい時間でした。

『学校に行く理由ってなんだろう』

そもそも学校に行かなければならないという考え方自体を変えるべきだと思ったのです。もちろん学校で学ぶ事、同級生たちと同じ空間、同じ時間を共有する事はとても大切な経験ですが、今はそれに執着する事で、大切な我が子の首を絞めている、そう思いました。自分を傷つけてまで行きたくないと訴えているのに、どうして行かせる必要があるのだろうか?

学校に行かない選択肢があってもいいはず。

限界はあるけれど、私がしっかり勉強や生活環境を管理すればいいのでは?

実際に海外ではホームスクーリングを率先して行なっている家庭も多く、ふとアメリカの知り合いにもホームスクーリングをしている家庭があり、みんな立派な大人になっている事を思い出しました。

もちろん進学の面ではネックになってしまいます。出席率や成績で入れる学校も絞られてきてしまう。将来行きたい学校が見つかってもどうしようもない事もあるかもしれない。でも今はしっかり心を整える時間を持つべきではないか?最終的な目標は『通学』ではあるけれど、例え通学できなくてもいろんな夢の追い方はあるし、『そうしたい』という願いが強くなれば行動力にもつながるはず。だから今は環境を整える事が何よりも大事だと思うようになりました。
『その時』がきた時に全力でサポートすることの出来る私の経済力とサポート力を養う時期なのでは?と。

『不登校』の子どもたちに国がしてくれる事や環境は少なく、いろんな状況、環境の子どもたちそれぞれに対応した対策を求める事は難しいです。実際、私も何度も市役所に行き相談をしましたが、結局は民間のフリースクールに通わせる事を勧められました。我が家に関しては集団生活にストレスを感じる為、毎回「それが出来るなら学校に行ってる」と心でつっこみを入れていました。頼る事ができる環境であれば是非行政機関を利用することを強くお勧めしますが、それができなかったとしても決して絶望せず、自分や子供を責めずに少しでもストレスを減らして、愛する子供との貴重な時間を前向きに過ごしていただけたらと思います。


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