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ワルシャワも東京も無味だと思わない。 (感想:須賀しのぶさん「また、桜の国で」)

須賀しのぶさん「また、桜の国で」を読みました。

ロシア人と日本人の間に生まれた日本の外交官である青年の目を通して見た、第二次大戦前からワルシャワ蜂起までを描いた小説です。

ポーランドの首都、ワルシャワ。
恥ずかしながら不勉強で、ポーランドについては「やたらとドイツやロシア(ソ連)に侵攻されてきた」くらいの認識でした。
そんな状態で、20年近く前に映画「戦場のピアニスト」を観ており、タイミングが悪いことにその当時、直近でレジスタンスの若者がひたすらナチス軍人に拷問される舞台(注)を観劇していたので、余り冷静にきちんと理解出来ていなかったな、と思いました。
その程度の認識だった私でも、この小説は読みやすく分かりやすく、他の作品への理解も深まる非常に良い読書体験となりました。

小説の感想以上にその他の作品に関する気付きも多分に含まれた記事となりますのでご容赦ください。

注:その舞台の思い出し感想がこちら


ショパンと「革命のエチュード」

ショパンがポーランド出身である、ということも実は良く分かっていませんでした……。
昨年の花組公演「巡礼の年」はリストを主人公にした物語で、ショパンは親友(とショパンは思っている)として登場します。
リストが貴族たちを前に、ショパンの「革命のエチュード」を引く場面がありました。
その場面では、リストがいつもと趣向を変えてショパンがリストへ捧げた楽曲である「革命のエチュード」を弾いた、というものでしたが「また、桜の国で」を読んだらちょっと解釈が変わりました。
「革命のエチュード」は1831年のロシアによるワルシャワ侵攻に際してショパンが作曲したそうで、第二次大戦下におけるワルシャワ蜂起ではレジスタンスたちにとって重要な一曲だったようです。
「巡礼の年」では、名誉や権力によって「何のために音楽を?」というショパンからの問いの答えを見失ったリストが、名誉・権力の象徴である貴族たちに向けて反強権主義を象徴するようなこの「革命のエチュード」を弾くという場面があり、これは史実としてあったことなのか分かりませんが皮肉でもあり、それを狙ってその場面を描いたのであれば生田先生さすが……という気持ちです。

「戦場のピアニスト」とショパン

で、ふと映画「戦場のピアニスト」のあらすじをウィキペディアでざっと読んだのですが、公開当時に観たときに理解できていなかったことが分かりました。
主人公のユダヤ人ピアニストがドイツのポーランド侵攻で廃墟となったワルシャワでピアノを弾いていてナチス将校に助けられた、というざっくりした理解でいたのですがこのとき市街地が廃墟になっていたのは単に市街戦の結果ではなかったのですね……。
「また、桜の国で」で描かれているワルシャワ蜂起によって廃墟となっていた、と。
そして「戦場のピアニスト」のユダヤ人ピアニストが弾いていたのがショパンだったそうで。
はぁ……なるほど、と。

過去に自分が享受した作品に対して、こうして新たな理解が深まるのはなんだか不思議で縁を感じるような体験です。

ワルシャワは無味な都市なのか?

ここからだいぶ話が飛ぶのですが、過去に私はとある討論会のようなイベントに参加したことがあります。
参加、といっても発言はせず最後まで観客でした。
その際、壇上にいたとある男性は関西出身で、自称世界一周を終えた直後みたいな感じで、ワルシャワについて語っていて、そのときのことが未だに私の中でひっかかっています。
(私の主観が多分に含まれますのでご容赦ください。)

まず、世界一周を終えたことについて「自称」とつけたのは、確か海外5ヶ国くらいを旅行する間に一度も日本に帰国しなかったというものであり、私はそれって世界一周なのだろうか……?と思ったわけです。

で、彼が言うにはワルシャワというのは第二次大戦下で徹底的に破壊しつくされて今は情緒のない無味乾燥な街並みが広がっていると。
その光景は既視感があり、その既視感は東京に似ているからだと気付いた。
現代の高度な情報社会においては世界のどこにいても大差はなくて将来的にだんだんと世界は同一化していくと思う。そのときに世界というひとつの国の首都になるのは東京だと思う。
みたいな持論を展開していたと記憶しています。
あくまでも私のざっくりした記憶ですので、ご了承ください。

確かに東京も第二次大戦下で焼け野原となりその後に復興してきて今がある訳ですが、東京生まれ東京育ちの私はその発言が「東京は情緒のない無味乾燥な都市である」と否定されたような気分になりました。
どぉーーーーーーーしても、それは同意しかねるものでした。

小学校の前の坂道。
学校帰りに遠回りした路地裏。
わざと知らない道を通って図書館へ行ったこと。
日暮れどき、薄紫色の空に立っている東京タワーがまじで「東京は夜の7時」
運河にかかる橋の上から遠くに見える朝焼けのレインボーブリッジ。
都内の気軽な山って思ってると痛い目を見る高尾山。
あれこれも全部、私にはノスタルジックでエモーショナルなのです。

たかだか10年かそこら東京に住んだだけで、たかだか5ヶ国をチラ見しただけで、この人は何を知ったような口をきいているのか。
不思議で不思議で仕方がなかった。

そして同時に、ワルシャワという都市は彼が言うようなものなのだろうか?
という疑問を持ちました。

当時とても強い違和感を感じたにも関わらずその後特にワルシャワについて調べることもなく、勿論ワルシャワに行くこともなかったので、そのあたりが私の怠惰だなぁ、とは思います。
というかその時初めて顔を見た彼に対して一気に嫌悪感しか抱けなくて、なんだかずっともんにょりしていて、このことはずーっと誰にも話してこなかったんですよね。

n=1と言ってしまえばそれまでですが、「また、桜の国で」を読んでもやっぱりワルシャワはそんな情緒のない無味乾燥な都市だとは思えない、というのが一番強かった。
画像検索で現在のワルシャワの写真を見ても、はて……?という気持ちです。
なんか、すっごい、ディストピアみたいな言い方してたんだけどなぁ…なんだったんだろ……

いや、西新宿あたりの高層ビル群に対して、こう、近代建築がごちゃごちゃと立ち並んでいて情緒を感じられないとかだったらまだ分かるんですよ。
私にとってはそれでも、ちょいちょい子供時代の思い出とかあるので情緒がないとか言われると、なんだと?みたいな気持ちになるのに。
東京って一口に言っても広いし色んな風景があるのにな、って感じだし。

まぁ、当時は大絶賛東京生まれ東京育ちコンプレックスを拗らせまくっていたので余計に嫌悪感を強く感じたのに言語化出来ずにいたのだと思う。
今だったら、はぁ??????って面と向かって言いたいと思う。

ちゃんと?本の感想も書いておく

色々と話がとっ散らかりましたが、「また、桜の国で」は一度も行ったことのないポーランドもブルガリアもとても美しい描写で言及されていました。
小説なので写真や映像はありませんが、美しい風景が脳内に広がる描写を堪能出来る文章というのは、とてもいいものだと思います。
だからこそ、後半に描かれるワルシャワ蜂起の凄惨さが際立っていて鳥肌が止まりませんでした。
ちょっと長いけど、文章自体は読みやすく、時代背景もわりと分かりやすいと思います。

今現在の世界情勢もあいまって、色々と考えさせられることの多い内容ですが、読んで良かったと思います。


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