残響

「お前が殺したあの猫のことだよ」
 知らない声で目を覚ます。
 心臓がやけにうるさい。
 寝巻はじっとりと濡れていて、肌にはりついている。
 夢を見ていたのだと判別がつくまでに、数分ほど要した。

***

 優先順位をつけることは、悪いことではない。
 つけなければ生きていけない。
 だから、前方の車が猫を轢いたとしても。
 轢かれた猫に、わずかに息があったのだとしても。
 出勤することを優先してその場を立ち去ることは、罪には問われないはずだ。
 だから僕はあの日、職場へと車を走らせた。
 猫と、罪悪感を、見殺しにして。

***

「あなたが轢いてくれていたならよかったのに」
 ぼろぼろな姿の女性が告げる。
「あなたが殺して、より強い罪の意識に苛まれて、ずっと生き続けてくれればよかったのに」
 気づけば彼女は僕の背後にいて、その腕を僕の胸に這わす。
 白いワイシャツが、赤い液体で染まった。
 ひ、と小さな悲鳴。自分の声だったらしい。
「なんで、置いていったの?」
 憎悪に満ちた声音。
 あむ、という咀嚼音。
 首筋に、激痛が生じて。
 次に聞こえたのは絶叫だった。

***

 待って、と言う女性の声。
 僕の左手には柔らかい温もりがあった。
 ここは、と、状況をつかめずにいると、20代くらいの若い女性が僕に話しかけてくる。
「こんなところで何してるんですか。そんな風にぼさっとしていると、車に轢かれちゃいますよ」
 うちの猫みたいに。
 そう付け加えて、彼女は哀しげに笑った。
 どうやら無意識のうちに、猫が轢かれた道路の近くまで歩いていたらしい。
「この間も男性の方が、ここで轢かれちゃったんです」
 猫の喪主は淡々と語ったが、僕は、その男性がどうなったのか、聞かなかった。
 いや、正しくは聞けなかった、だろうか。
「あの子、寂しがり屋だったから。誰かを連れていきたかったのかもしれませんね」
 ひどく憔悴していた様子の彼女は、困ったように笑みを浮かべた。
 道路に居た僕の左手を、放さないままに。

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