好きなものを後から食べたい

 好きなものが朝食に出てきたら、一番最後に食べたい。
 たとえば、オーブンで焼いた焼きサバ。
 油がたっぷりのった、腹側の部分が最高である。

 好きなものが昼食に出てきたら、一番最後に食べたい。
 たとえば、アツアツの卵焼き。
 スクランブルエッグのような、柔らかい加減のトロトロが大好きだ。

 好きなものが夕食に出てきたら、一番最後に食べたい。
 たとえば、小さい頃から大好物のコーンスープ。
 濃厚な美味しさと、クリーミーな舌触りが、たまらん。

 俺は、好きなものを後から食べたい。
 苦手なものは、先に食べる。

 サラダや白ご飯、食べるのに咀嚼が必要なもの。
 そういうものは、なんとなく食べていると疲れる。
 だから先にいただく。
 苦労した感覚で食事が終わるのが嫌なのだ。

 苦労して、苦労して。
 咀嚼して、骨を分けて、時には苦みをこらえて飲み込む。
 涙さえ流すことすらあった気がする。

 乗り越えた先に、好きなものが待っている。
 そう思ったら力が沸いてくる。
 自分へのご褒美のために、辛いことを乗り越えるやり方だ。

 しかし、どうしたことか。
 焼きサバも、卵焼きも、コーンスープも冷めていて。
 ものによっては硬くて食べづらい。
 そのうえ、お腹はいっぱいで食欲も満ちた。
 なんでだよ、俺はこれだけ苦労してたどり着いたはずなのに。
 なんで、「美味しい」って思えないんだよ。

 そんな、残念な結果が待っている。

 野菜は健康に良い。白ご飯は大事なエネルギー源。
 苦心して食べたものは、体を作ったり、整えたりする大事な栄養となる。
 だから無駄ではない。
 それでも、それらを時間をかけて先に食べてしまうと、好きなものは冷えて硬くなってしまう。

 そんな食事のやり方を、俺はずっと続けている気がする。

 明日になれば、楽になるはずだ。
 頑張っていれば、いつか報われるはずだ。
 続けていれば、結果が出るはずだ。

 美味しいものは、手の届く場所にある。
 それなのに、俺は手を伸ばさずにいる。

 愛する人も。
 楽しいことも。
 趣味も。天職も。

 すべてはきっと、もう手の届く場所にあるはずだ。

 もう、美味しいものを食べても良いはずなのに。
 俺はそれでも、余分な「美味しくないもの」のおかわりを続けている。
 おなかが膨れて。冷え切っていて。もしかすると、年をとって歯がボロボロになって。コロナで味覚がおかしくなったりして。

 ――何を食べてももう、美味しくなくなっていたのだとしたら。

 無機質な食事を続けるしかないのだろうか?
 きっと美味しいであろう、あの好物の幻想を追って。

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