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小説を読む

 人間は大好き。人付き合いは、大っ嫌いだ。
 だからいつだって傍観者でありたい。
 それは近頃よく聞く「いじめを見て見ぬふりをする」傍観者とは違う。次元が違う。僕はその傍観者すら傍観していたい。
 いざこざはもちろん、生産的な活動であったとしても、そこには参加せず、どこか遠く、ずっと遠くからそれを眺めていたい。
 いわば神様の視点になって、人の世のあれこれを、テレビドラマを眺めるかのように鑑賞していたい。
 当事者には、決してならない。なりたくない。
 そんな僕の好きなことは、小説を読むこと。映画を見ること。ドラマを見ること。
 だけど僕の好きなことは、小説を読むこと。映画を見ること。ドラマを見ること。
 それはちゃんちゃらおかしな話。なぜかって?
 フィクションの中の人物に感情移入して、笑ったり、泣いたり、怒ったり。そんなふうに情動していたいから物語を嗜む。
 そんなこと、人付き合いが嫌いな人が、好き好んでやるだろうか?
 きっと、本当はたまらなく人との関わりを欲しているのに、それができないからやっているのだ。
 人付き合いが嫌い?大嘘だ。本当は誰かを好きになりたくて、優しくしたくて、優しくされたくて、同じ時間を共有していたくて、誰かと何事かを成し遂げたくてたまらない。
 そんな本心をさらけ出すのが恥ずかしいうえに、それができないことを認めたくないから、「人付き合いは嫌い」だなんて心にもないことを言ってしまう。
 そしてそれを、自分でもそうなんだと言い聞かせて、人との関わりを避ける。とにかく避ける。苦手だから逃げる。逃げてもいいものなのだと言い聞かせる。
 その姿勢を貫いていたい(人には一貫性を保ちたがる性質がある)から、誰かを愛せないのなら、誰をも愛さずにいる。誰かを好きになれないのなら、その他大勢も同じように嫌う。
 そうやって出来上がったのが僕だ。
 だけど、このままでいいと思う。
 人付き合いが嫌いという僕を、僕自身は嫌いではない。
 いくら人との関わりを心の底では望んでいようとも、無理をしてまで人と関わろうと思うことは無いだろう。
 この先、どんなに、他人と深く関わろうとも。
 だから僕は僕なりに、僕なりの「人との関わり方」を探求して、悩んで、苦しんで、ときどき笑って過ごしていくつもりだ。
 でもって今日もこの後、小説を読む。


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