「書く」からみる自分史
こんにちは。アートマネージャーのてらだです。
最近、note読んでるよ、と声を掛けてくれる方がいてとってもうれしいです。ありがとうございます!
さて今日は、タイトル通り、「書く」について書きます。
わたしの勤めるsyuz'genでは、自分についてプレゼンするMeプレゼンというイベントが年1であるのですが、自分の過去を振り返ることって、何か一つの軸や視点がないと難しいのだなと思います。私は作家でもなんでもないですが、私の場合、文章や「書くこと」について考えていると、自然と過去〜現在を振り返れるような気がしたので、「書くこと」から見る自分史のような、プロフィールのようなものを試しに書いてみることにしました。
これが「話す」の人もいるでしょうし、「描く」の人もいるでしょうし、「踊る」や「泳ぐ」の人もいるでしょう。「 」に何が入るかによって、同じ人でも歴史が変わることもあるかもしれない。
「書く」のはじまり 🍚
最初にまとまった文章を書き始めたのは、小5で始めたブログだった。小学生の頃はゲームばかりしていたけど、パソコンを触り始めた時期でもあった。父親のアカウントを借りてYahooブログを開設した。タイピングも鍛えられたし、そういえば今思うとHTMLをかじるようなこともした。何を書いていたのか殆ど思い出せないが、最後に書いたテーマは、「表現力とは何か」だった。
中学入試は小論文だった。小学校から塾通いで、私立中学の入試を受けたのだが第一志望は不合格。その後受けた都立に行くことになるのだが、そこは家から近いし学費も安いし、ということで周りに勧められ受験。問題用紙には湯気の立つ白いご飯の写真が白黒印刷されていて、これについて思うことを書け、みたいな不思議な試験だった。
わたしは、タイ料理屋でタイ米を食べたときに、それが自分の知っている「ごはん」ではないと感じたことを思い出した。そこで「わたしにとっての『ごはん』とは、『白いもちもちした炊かれたお米』を意味する」みたいなことを書いた。
「書く」を鍛える 🏫
文章を最も鍛えられたのは、大学受験だった。高3にもなると受験勉強のため部活を辞めて勉強に専念する同級生が多い中、それまでクラスの隅にいた自分の青春を一気に取り戻すかのように、部活引退後、わたしは全行事に全力投球した。合唱コンクールの自由曲の指導、体育祭の応援団の振付、文化祭のクラス劇の企画と演出。気がつくと夏休みも終盤で、燃え尽きたわたしの手元には受験勉強をした形跡が一切なかった。もともとコツコツ何かをやるのも苦手だったので、もう知識量では同級生に追いつけないと、同じコースを走るのを早々に諦める。推薦やAOの活用を全面に押し出す予備校に通っていたので、毎日何千字も志望理由書や小論文を書いた。今思うと就活生みたいだ。「題意を満たせ」と耳にタコができるほど言われたの覚えているし、今でも何かのお題や求められて文章を書くときや、メールの返信するときすら、これだけを意識していると言っても過言ではない。
「題意」とは「出題の狙い」。つまり「題意を満たす」とは、何を求められているかを読み取り、それを正確に渡すこと。殆どの不正解や減点は、「題意を満たしていない」つまり、質問に答えていないことで起こる。「題意を満たす」つまり、質問に答えてさえいれば、内容は何を書こうと0点になることはない。そんなことを言われながら書き続けた。
大学の公募推薦入試は、志望理由書、小論文と面接だった。「公募推薦」は、「自己推薦」みたいなもんで、学校が推薦してくれるわけではなく、成績が一定の基準を満たしていれば誰でも応募できる。小論文では、「最近印象に残った芸術作品とその理由」を聞かれ、2014年に新国立劇場小劇場で観た『Tribes トライブス』について書いた。
勿体なくて「書く」🗽
大学入学後は、毎日のようにEvernoteに日記を書くようになった。きっかけは、大学一年生の夏休みに、ニューヨークに語学留学したときのこと。語学留学と行っても、マンハッタンで芝居を見たりダンスのレッスンを受けたり五番街で買い物をするための口実として語学学校に通っていたようなものだった(しかし行ってみるとそこはニューヨーク州でありながらマンハッタンからは電車で1時間弱あった…)。その頃のわたしは、経験したことや感じたことを全て記録しておかなければ!という気分に駆られていた。こんなに新しくて面白い体験を現在の自分だけのものにするのは勿体無いと、貧乏性な母のもとで育ったわたしはその性質を存分に発揮した。
その日あった出来事、思ったことや、今後の予定、欲しいものを箇条書きしたり、とにかく内容も文章量もバランスもランダムだけど、時間が無限にあるような気がして、ずっと書き続けた。多い日だと1日に7000字書いていた。文章にしてしまうことでこぼれ落ちるディテールはあるけど、それでも、読むと鮮明にその時のことを思い出せる。
「書く」と発想 📃
大学時代はレポート三昧だった。芸術と教育を横断するわたしの所属コースには、知識量を問う「いわゆるテスト」をする教授は少なく、期末にはレポートばかり書いていた。ぱっと見難しそうなテーマをなんとか噛み砕いて完成させる達成感が好きだった。ベケット『私じゃない』の戯曲考察とか面白かった。よく「書くことは考えること」と言われるけど本当にそうで、文章を書いてるときにしか考えないようなことっていっぱいある。今でもレポートを読み返すと「よくこんなこと思いついたな〜」と思う。
ロンドンで「書く」 🇬🇧
大学3年が終わった後、休学してロンドンに行った。毎日曇りで寒くて基本孤独だったが、何か経験したいと思いCVやカバーレターを書きまくり、英語のライティングが鍛えられた。大学の授業課題では、24時間空いてる図書館に泊まって、シェイクスピア作品の独白や演劇の政治性についてのレポートを書いた。英語は、レポートの構成やそれぞれのパートで使う表現についてのリソースがネット上に豊富にある(日本語にもあるのだろうか)。形式をもらってきて、ほぼ穴埋めみたいな感じで書いた。大学準備コースでも、まずレポートの形式やルールを時間をかけて教えてもらうので、それに沿って書けば最低基準を満たすものができるの、すごい。
卒論を「書く」 🎓
帰国後、大学の最後は、卒業論文。なんと言っても、自分でテーマ設定をして最後まで書き抜くというところが辛い。そのテーマが、まとまった文章量書くに値するかわからないまま、一度腹を決めて書き始めなければいけない。ただ研究室には修論や博論を書く人も出入りしていたので、それに比べれば軽いもんだ、という気持ちが当初からあった。もちろん時間に追われながらリサーチや執筆をする時間はキツかったけど、今後も立ち返れる知識の土台を作れたのはよかった。
最近の「書く」 ✏️
そして最近はnoteを書いている。これは、インターン時代に会社の代表に「何かアウトプットをしたらいい」と勧められて始めた。入試や論文と違うのは、不特定多数に向けて書くこと、そして書き方にもルールがないこと。何をどう書こうと自由だし、まず、書くか書かないかも自由。だから続かないのだが、究極、わたしはこれを書き続けることで、いつ死ぬか分からない自分が存在した記録を残したい、みたいな謎なモチベーションでやっている。長ーい目で見た、終活。