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エッセイ/染井吉野とSOMEI YOSHINO

 今にも降り出しそう空の下、満開になった桜の木々が土塁を覆っていた。風が吹く度に流れ落ちていく桜吹雪で、土塁を囲む水堀は薄桃色に染まっていた。二二年ぶりに見た日本の桜は、記憶のままの姿をとどめていた。中学・高校時代、この山形城跡の霞城公園を通り抜けて通学した。空の暗さと桜の輝きのコントラストに、開花した桜に心を躍らせながらも寒の戻りへの不安を拭えなかった子供時代の心情を思い起こした。暮れかけた空気を感じながら、私は日没前に桜を見ることができたことに安堵した。明日から暴風雨が続く予報が出ていた。日本滞在中に桜を見るとしたら今日この地でしかチャンスはない。その一心で、ニューヨークからの十四時間のフライトの疲れも厭わず、羽田からここまでノンストップで移動してきた。昼過ぎに空港でのコロナ検査を済ませるや、駅弁を買う暇もなく山形新幹線に飛び乗り、実家の玄関先に荷物を置くとその足で自転車を漕いでここまで来たのだ。

 ここまで桜にこだわったのは、ニューヨークからの機内で有吉佐和子著の『非色』という小説を読んだことが原因だった。黒人兵と結婚しアメリカへ渡った戦争花嫁の主人公は、ある時ワシントンで日本から移植された桜を見る。ポトマック河畔一体に咲き誇る桜はピンク色の艶やかさといい大柄の花びらといい日本の桜とはまるで異なるものだった。その体験を通じて主人公は、異国の地に根付くうちに祖国のものが変質してしまうのは人間も同じではないかと気がつく。この一節に私は動揺した。渡米以来、毎春愛おしんできたセントラル・パークのSOMEI YOSHINOの花は、私にとっては子供の頃から慣れ親しんできた霞城の桜と同じものであった。マグノリアやゴールデンベルズといった街路樹の花がコンクリート・ジャングルの摩天楼を印象派絵画に変えるように、セントラル・パークの桜は浮世絵の世界を広げる——それは祖国の風土を忘れてしまった自分が作り出した幻想なのだろうか? 自分の感性、ひいては内面は『日本人』ではなくなってしまったのだろうか? 日付変更線までも超えて飛ぶ上空一万メートルの機内では現実と想像の境目が曖昧で、そんなことを疑いだすと日本の桜を確かめずにはいられなくなったのだった。

 はたして霞城公園の染井吉野は花びらの色合いや形状、枝の伸び方などどれを取ってもセントラル・パークのSOMEI YOSHINOと変わらないように見えた。お堀に映る逆さ桜でさえセントラル・パーク・レイクに浮かぶ桜影を思い起こさせた。二つの桜は同じでもそれを眺める私の方はどうだろう? 日本では桜の美しさに手放しで興じることができるけれど、アメリカのSOMEI YOSHINOに対する私の感情はもっと複雑だ。アメリカ北東部の春の訪れは遅く四月に雪が降ることも珍しくない。どんなに気温が下がろうとも、セントラル・パークの桜は毎年数日も違わずに四月中旬に開花する。私は祖国から担ってきた責任を果たすように花をつける桜のけなげさに心が震えるのだ。それは寒波の来襲を心配しながら楽しむ山形のお花見とどこか通じるものがあるかもしれない。

 四月二九日、晩春の山形に雪が降った。アメリカに住む孫の成長を祈って母が庭先に植えた桜の若木も白く染まった。積もった雪の下でも色褪せない新緑を見つけた時、今年も大役を務めあげたであろうSOMEI YOSHINOを思い出したのであった。


表紙写真:Contributor: Mint Images Limited / Alamy Stock Photo (4/19/2013)

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