気流の鳴る音 序章~Ⅰ カラスの予言-人間主義の彼岸 「読書整理」
読書整理
今回のnoteでは、興味深く刺激的だけれども、自分の理解が十分に到達していないと思われる本の内容の整理を目的として筆を走らせてみようと思います。
この整理にどのような方法が最適か模索中ですが、まずは気になったフレーズを中心に解釈していきたいと思います。
主に自分の思考の整理のために書こうと思っていますが、このnoteを読んで多少内容が理解が伝わったり、取り上げた本に興味を持っていただければ幸いです。
また多く曲解・誤解などが含まれると思うので、もし内容が気になった方は是非本を読んでいただきたいです。
今回の本
今回取り上げるのは「定本 真木悠介著作集Ⅰ」に取り上げられている「気流の鳴る音 交響するコミューン」です。
著者名である真木悠介はペンネームで、本名は見田宗介。社会の存立構造論やコミューン主義による著作活動によって広く知られる社会学者であり、東京大学名誉教授です。
この本の主題は、序章の筆者の言葉を借りれば「コミューン論を問題意識とし、文化人類学・民俗学を素材とする、比較社会学」であり、メキシコ・インディオに関する人類学的調査に基づく資料を基に、人間の生き方、すなわち世界の捉え方と関わり方を発掘することです。その人間の生き方は目も覚めるような新鮮さであり、字義通り世界を一度壊してしまうほどの衝撃を僕は受けました。
序章
ニワトリ同士と人間同士の仲の関連
始めに労働を強制されることのないコミューンである「山岸会」を取り上げて、そこでニワトリと人間の関係性に関しての考察がある。山岸会では人間同士の中がいいからニワトリも仲がいいのだという。その因果はばかばかしいと思われつつも、著者は
人間の自然にたいする感触が、他の人間への対応の中に反映し、このような人と人との関係が逆に自然を取り扱う仕方にあらわれ、それが植物の育ち方とか動物の相互の関係のうちに反映し、それがふたたび人と人との関係を形成している、そのような連動関係が幾重にも存在すること p12.13
に納得する。
このような自然への共感とそれが人間社会に及ぼす影響に言及しつつ本題に進む。
土着と近代の独自性と普遍性
土着の文化はそれぞれ独自性を持つように見え、近代は普遍の象徴のようにも思える。
しかし筆者は
<近代>を特殊性として、<土着>を普遍性としてとらえなければならない。~中略~しかしこの土着の多様性でさえ、自然存在としての人類の意識の原構造のような地層で、たがいに通底し呼び交わしているはずである。
p24
という。
この一見、一般論と逆をいくような見方もまた自然と人間の関係の中では、土着の多様性を認めつつ、そこに普遍性があるとする点で筋が通っている。
先ほどのニワトリと人間の関係性とも共鳴しつつ、これらのことは本書を貫くテーマであり、イントロダクションとなっている。
Ⅰ カラスの予言-人間主義の彼岸
ここからはカリフォルニア大学で人類学を専攻する学生であったカルロス・カスタネダがドン・ファンとドン・ヘナロという二人のメキシコ・インディオから得た知識や経験をもとに書かれた四部作を読み解きながら話は進んでいく。
始めカスタネダはドン・ファンから薬用植物の情報を得ようとする。カスタネダは謝礼として金を渡すというが、ドン・ファンはそれに対して「わしの時間に対しては…おまえの時間で支払ってもらおう」という。このように抽象化された価値としての金銭ではなく、一対一の直接的な価値交換を申し出る二人はすれ違う。
ドン・ファンのこのような捉え方は自然の一部である人間と草木を同等にみなす世界観と繋がる。ドン・ファンはカスタネダの有用な知識としての植物の問いに対して、小さな植物の前にしゃがみこみ、やさしくなでながら話ははじめ「大事なのはそれが好きだという気持ちと、それを自分と平等に扱うということさ」という。
このようなエコロジカルな平衡感覚を持ち得れば、水俣病はもっと早くに感知され、その環境破壊に至らなかったのではないかと著者は考察し、
人間主義(ヒューマニズム)は、人間主義を超える感覚によってはじめて支えられうる p44
という。
<トナール>と<ナワール>
ドン・ファンによれば、人間の体には八つのポイントがあり、<理性>と<意思>を中心的な部位とし、<トナール>と<ナワール>は<意思>と結節しているとする。
ドン・ファンは<トナール>を「世界をつくるもの」として説明する。
続けてこう説明する。
「<トナール>は話すという仕方でだけ、世界を作るんだ。それは何ひとつ創造しないし、変形さえしない、けれどもそれは世界をつくる。判断し、評価し、証言することがその機能だからさ。つまり<トナール>は何ものをも創造しない創造者なのだ。いいかえれば、<トナール>は世界を理解するルールをつくりあげるんだ。だから、言い方によっては、それは世界を創造するんだ」
つまり、<トナール>は世界の説明原理なのである。これは中沢新一の言う<複理論=バイロジック>のうちの外の環境世界の構造に適応できるような論理、すなわちアリストテレス論理と一致するのだろう。
一方<ナワール>とは、ある一つの世界観である<トナール>を取り囲む世界そのものであり、他者や自然や宇宙と直接に「まじり合う」われわれ自身の本源性である。こちらは中沢の言う、対称性の論理で動いている「流動する心」なのだろう。
人は<トナール>を気づかないうちに作り上げ、それを完全なものとして錯覚する。そして「狂気のさなかで自分はまったくの正気だと信じている」。
<トナール>を意識し、再編成することが世界を止め、超越していく入り口となる。
参考
定本 真木悠介著作集Ⅰ 岩波書店
はじめての中沢新一。アースダイバーから芸術人類学へ。 https://www.1101.com/nakazawa/index2.html
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