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社会での仕事や目標設定を軽くする
「無理をしない」とダラダラする時間、家事をやめる時間は作れても、人って社会的な「仕事」をなかなか手放せないなぁと思います。
もちろん健全なことだし、生活費がかかっているし、当たり前にも思いつつ
「人が人と生活する活動」が減る矛盾もあるなぁって。
仕事や外の活動で「もっとできるようになる」「◯◯を目指す」から降りると、
しばらくは不安もあるのですが、
そのうち「他の、ある価値」に目が行くようになり、充足感が出てくると感じます。
いや、生活活動に少しずらした場合…が正しいかも。
私はもともと働きたいばかりの人間で、強制的に移行したタイプだし、これは向き不向きもあるとは思うけど。
それでも、人が生きるための活動(ごはん作る、掃除、洗濯、布団ほす、家族団欒、家にいる人で手分けするなど)を淡々とやることって、つまらないイメージで、何でか少し軽く見られるなぁという印象を受けます。
やれば面白みや深みがけっこうあるし家族を守る活動なのだけど。
…
目標があって、足りない!追いつかない!って走っているときは、やはり満たされないんだよね🥕←本能的に走るんだとは思うし脳の構造はきっとそうなってるけど。
私はそこだけだと、疲れてしまうことが多いです。
人間の情緒と理性ってそこを抑えるために進化している気もするから、うまくバランスとりつつ
「生きるための」何かに目標設定をし直すことが私には必要だったなと思います。(その方が不思議と仕事も手がつく)
今の時代は特に、
自身のやりがいは?使命は?
にとらわれやすいし、頭が持っていかれる気もするので(良さそうな情報もたくさんあるから)
少し離れないと危ないなと思います。
日本人はとくに高度成長期を生き抜いてきたし、根が真面目だから
仕事を休むことに勇気がいるってわかるんだけど
やっぱりそれ、なんか変だなって思うんだよね。
「ある」ところ、
できてるところを見るって難しいけど
基盤(生きる活動や近い人と分かり合う時間)があるだけでも、幸福度が違うなぁと思ったので
感じることを書いてみました🙋
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