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疲れたなぁ(´ω`)

気づけば、娘が最初の行き渋り〜不登校をした、あの強烈な年から丸10年がたっていました。
いろいろあったし皆成長したよねぇ。。って、前向きなこともいっぱいあるけど、なんか脱力ぎみの最近にとりあえず言わして。


、、、、、、疲れたなぁ(´ω`)


なんか癒しの風景のせとこう笑



下の子たちも色々とイレギュラーなので、年が離れてるのもあり、まだまだ道としては途中。
マイペースを守る努力はしててもどこかずっと気を張っている日々なのだと思います。
最初こそ自分を責めて、次は誰かを責めて何かのせいにして。自分でコントロールが不可能なことがあるのだと知って少しずつ、冷静になっていったなぁ〜。


というわけで、今意識して脱力しています!


鬱とかはないけど「おいちゃんと休めよ」みたいな現象がちょいちょい来たので、マジ鬱にならないようペース落としつつ。お利口さんにならず気持ちは落ち着いています。ご飯も食べれてるし、生活をして、家族と普段通りに過ごしています。

自分的には大事なことして疲れてるなら、本望でもあるんだけどね。


不登校から始まって

勉強アレルギー
ゲーム依存
ポジティブな場アレルギー
精神疾患
病気
二次障害
いじめ
トラウマ
思春期
発達障害
視覚障害
学習障害
自殺未遂
家出

などなど
名前のあるものから無いものまで

我が子に限らず、この10年は一般的に「困った行動をする」と言われがちな子や、深い悩みを持つ大人の側にいることが多かった日々です。
大きな役割がないからこそ繋がってきた層もいるなぁと思う。

悩ましい親子は増えているけど、内情を知るほどに、
しんどさは無くならないのだろうなぁ…(変化はするとしても)と思います。
諦めではなく、事実として。



当事者家族として辛いときや集団に入れない怖さは、
私も突然来たりします。

そういう時は極端に
そもそも今が江戸時代なら、うちの子たちはもう少し役割を生きられているだろうねぇ!
とか、笑
今が縄文時代だったら狩り上手くてモテタイプだったか、コミュニティに入れずにとっくにくたばっていたか、どちらかだろうねぇ
とかイメージをちょっと飛ばして、私たちただの人だね😺という認識に戻したりします。

結局不安って「生物として命の危険を感じる=不要だと突きつけられているような感覚」から来ると思うので、目の前に起きてるそれは、本当に怖いこと?
今すぐ生死に関わる?
「良い変化」じゃないと価値がない?
そもそも視野が狭くなってない?
みたいなところで持ち返してきました。


その上で、「ところで今の時代はこんな感じだけど…さてどうしようか」と捉え直しながら、知らない道を子どもや周りと話したり進んだりしてます。

私は強くはないので、物理的に近くに味方を作りたいタイプ。そこへの努力はけっこうしてるかも。夫対策とかね。笑 ←今は基本温厚だけど、疲れ蓄積した原因①には違いない(笑)



疲れ原因その②は、
たぶん不登校って一般的なイメージよりも、風当たりの強さや、アウェイ感に触れることが多くあるんですよね。
子どもをテスト評価で判断できなかったりするし、周りもどう関わったらいいか惑わせてしまうこともあります。

このしんどさって、「子どもが一般的な道から大きく外れたことのある経験(特に心身にマイナスな影響がでたり、生きるか死ぬかを考えたり、親も子も悩みが複数だったり、長かったり)」をしないと、なかなか共感し難いことがあると思う。
だからなるべく伝えたくて(全て理解してほしいわけじゃないんだけど状況とかを)周りに説明をすることが多くなるんだけど、そうすると
双方の都合を嗅ぎ取って調整する場面とか、
準備時間がぜんぜんない中で対話にいきなり持ち込まないとならない場面とか、ほんと多くて(^^;)

それこそ、そんなに配慮必要?とか、甘えなんじゃ?みたいな雰囲気になると
え、じゃあ家庭ごと代わってみてくれる??責任もてる?と言いたくなったり攻撃的になってしまうのも、子を守る母だからこその本音ですが🦁ガルル


そうではなく、「言い負かしたい、理解させたい」の発散&執着を何とか手放して、私が自律するしかない(周りの目線や、集団の中での「皆と違う」をスルーしつつ必要な相談や行動だけしていく)というところに、今は一旦落ち着いてます。

その方が早いし子どもは可能性が開けるのと、エネルギー節約のため…。(単純に手が足りない〜誰かに頼っていくにしても家から出ない子とかの場合、動くのは親〜)

ナチュラルスルーではなく、どこか意識してスルーしてるからきっと疲れるんだよね(・・;)
先生いま絶対に無理してるだろうなぁとか
あの近所のママさんには良く思われてないなぁと気づきながらも、ウフフしたり無になったりしている。
でも反発するよりは疲れない、、的な(基準w)

自分を守るだけなら、こういう対応はしないでさっさと離れるんですけどね。



それでも、(ぜんぜん望まないまま)揉まれた日々のおかげで、成長はさせてもらえてる🙌と思う。

本能と理性をコントロールすることってやはり大変だし、修行僧みたいなことやってきたわけだけど、コツコツやってると納得する地点はみえてくるものなんだなぁと感じます。
学校に行けないとしても時間は平等で、子どもたちは何かしら学び変化し、成長しています。
視点がガラッと変わったから、私も生きることがとてもラクになりました。

ちなみに、相手のことが「分からない」は当然のこと。
世の中のいろんな現象も「分からない」。
分からないって、怖いし不安ですよね。
だから人はちゃんと怖がって成長してきたのだと思います。
答えがすぐに分からないことは当然沢山あって、仕方がないから、分からないまま進んでいくし、分からないから話していくしかない。

想定外なこともたくさんあるけど、
その現実を受け止める覚悟をしながら進むのみ。
かなと思います。

時代の価値観に囚われすぎず客観視しつつ、子へのさまざまな執着を手放していく。(親なんだから振り回されてもいいかなーとも思ったりもするけど。抜けたいなら視点を変えたり、子どもに嫌われてもぶつかっていく必要もあるかなと)

子どもや若者が健全に貧欲になれる社会があることが、一番いいけどね。

ひとまず目の前のことをコツコツやりながら生きます。


守りたいものがあるって、なんか改めて不思議(´ω`)

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