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絵や音楽、芸術作品が売れない人たちへ。
私たちは、自分の外の何かと比べて、自分に価値があると思う癖がついているけど、ほんとは全く関係ないらしい。
例えば、
仕事ができて、
頭がよくて、
芸術や音楽の能力が高くて、
作品が評価されて、
スポーツが秀でていて、
技能が突出していて、
身体が強くて、
お金があって、
美貌があって、
友人が沢山いて、コネクションが沢山あって、
掃除がきちんとできて、、、
などなど、まあ、全ての「できる」「持っている」ことと比べて、自分にそれがないと、
「自分には価値がない」と、なってしまう。
でも。
全く、
全く、
自分の価値と、それは関係ないらしい。
頭や、劣等感を刺激する考え方では、それを思うし、考えてしまうけれど、
全く関係ないらしい。
そういわれても、ピンと来なかった自分が、自分に、よく思い出させていたことがある。
例えば、
宮沢賢治は生涯、本は一冊、たしか、当時の五円くらいの、値段分しか売れなかった。
ゴッホは、絵が一枚、たしか5000円くらいしか、売れなかった。
二人とも、父親や弟に生涯仕送りをしてもらいながら、創作をし続けながら、早く亡くなった。
ゴッホは自死し、
宮沢賢治は、病気の中で、まだやれることがあるのにできないならば、せめて命を誰かの糧となるよう命の全てを出し切ってから死のう、と生き、若くして亡くなった。
本人としては、絵も売れず、本も売れず、
お金の無心ばかりして、やれること、やりたいことはあるのに、と、苦しかったかもしれない。
で、本人達が自分に価値がないと思ったかどうかは、わからない。
でも、だからといって、彼らに価値がないのかというと、
価値がある。
その作品から、清らかな精神は受け継がれ、
後世の人間は、芸術と命の喜びを分かちあうことができる。
生きてる間、認められることはなかったけど。
じゃあ、死んでから、作品が売れたから、価値があるのか、ということでもないと思う。
もし、作品を生涯、誰も、死んだ後も人が見てなかったとしても、
何を思って、どう生きたか。
ただ、書きたくて、描きたくて、
魂の火を燃やし、表現した。
その命の輝きこそ、
命のバースト(爆発、炸裂)こそ、
尊いのではないか。
宇宙から、もし命を見ることができたとしたら、人に認められるとか、これができているから価値がどうとか、全く関係なく、
そういう生き方をしている魂は、宇宙の暗闇の中で、
燃えて光輝いて見えるんじゃないかと思う。
それは、芸術を生きた、
その人が芸術そのものの輝きだった、
そんな生き方ができたということではないか、と思う。
借りたお金は、別の時代で、貸してくれた人を助けていたかもしれないし、
別の時代で助けるかもしれない、
後の時代に沢山の人を助けるから、
この時代では、お金とは関係ないところで、苦しんだかもしれないけど、生きた、
そんな物語もあるかもしれない。
そして、自分は見ている。
全てを。
なんの評価も受けない、
価値も感じられない生き方しかできなかったのに、命の望みを生きた。
最終、ゴッホは命を絶ったけれど、いいとか悪いとかではなくて、
天は、神は、宇宙の法則は、
それを裁かないんじゃないかと思う。
その人が、その行いをどうしていくのか自分で紡いでいくだろう。
わたしは、生きた。
わたしは、
書いた。描いた。歌った。演奏した。
命を輝かせていることは、自分からは見えないかもしれないけれど、
評価と価値は全く関係ない。
価値もなくていい。
だって、あるんだもの。
価値は無くならないから。
あなたの創造物は、表現は、宇宙からも見えるような命の輝き。
存在が価値。
死んでも魂は無くならないから、あなたが価値そのもの。
お互い、表現したい気持ちを、バーストさせていきましょう!
ありがとうございます。
戸張碧月
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