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祈ることって大事とはわかっていたけど、改めて…。「祈り」が「想い」が先で、そのあと現実は作られると言われているけど、人の愛の祈りは世界をほんとに救っているんだ、と思った。

でも、なんか争いを誘発するような、
悲壮感漂う、こうでなくては!みたいな完璧なものを求める感じの祈りではなくて、

同情というか、

心を添わせる、みたいな優しい想いや、
そうだったんだね、
それは辛かったね、
もう、そういうことは、これからは無くしていくからね、
ありがとう、
大変でしたね、
そんなことをしてきてたんですね、許してくださいね、これからは違う世界を作るよう努力していきます、
あなたのおかげです、
みなさんのおかげで今があるんですね、
ありがとうございました、

みたいな、

その歴史とか、土地とか、遺伝子とか、物質にも、地球にも、石や植物や、亡くなった存在にも、

そういう想いを寄せる的なことが大切なんだな、と思った。


思ってはいたけど、もっと思った。


ある有名な大きな商業施設のある場所に、初めて行った。

何か暗い、異質な、遊び場には思えない雰囲気の場所かなとは思ったけど、
まあ、これがあの有名な、、、ふむふむ、
と、少しぶらぶらしてから帰った。

たまたま、後から実はそこは昔の処刑場だったというのをSNSで見た。


そっか。。。


歴史的にはそういう場所はあった訳だから、悪いとか、そんなことではない。
遊郭もあったわけだしね、他の観光地にも。

ただ、まだ、時代は変わっても、その事を知っている人たちが居るくらいには、歴史が近い。

で、そこで、深く同情したりすると、それこそ「すがられて」対処できないことになるから、そういうことを考えるのはやめた方がいいとは思う。


ただ、普段から、いろんな歴史があって、
争いも戦いも、苦労もあった同じ土地、
その歴史の上を歩いたり暮らしたりしている訳だから、

おかげさまで、今生かしていただいています、
ありがとうございます、

みたいな想いや、

癒しが最善の形でおこなわれますように、

的な、祈りってほんとに大切で、世界を救っているんだと思った。


そういうことを、あちこち一人で回ってやってる人って結構いる。。。

そして、家でもどこでも、普通にそういう祈りや感謝を意識して届けている人も沢山いる。。。


身近な人以外には言わずに。
なんなら、誰にも言わずに。。。


宗教とは関係なくても。


そんな人の中の見えない善意みたいな祈りが、
さっきの処刑場や、戦場や、想いが遂げられず残った場所や人の重いものを、

ほんとに清らかに軽やかにしている。


頼まれた訳じゃないかもしれないけど、
ほんとに、残ってしまった重く悲しいものを、

幸せであってほしい、という祈りが救っている。

それが、誰だかわからなくても。


まあ、生きてる人の念でさえ、成仏させてあげないと、現実を重く捻じ曲げちゃうからね(⌒-⌒; )

それは、とても世界を救っているんだと思った。



絶対、命を全て守って完全平和を!

ってやると、
争いが起こるか、
存在が淘汰されてしまう。


だから、
清濁併せ持つような、真ん中をなるべく通るような、
批判より、何を選ぶか、何を出して生きるか、
みたいな軸で生きている人が、

いろんなことを、優しく包んで、
結局は、争いにも淘汰にもならずに、幸せの道を歩いて見せてくれているように思う。


劇的なやり方も、世界のコントラストを浮き立たせてドラマを面白くしてくれるんだから、
悪いことでも何でもない。

でも、激しい渦のような世界で、
心を寄せる、
慈しみ祈りは、
世界を救っていると思う。


ただひたすらにそういうことを意識して、どんな時でも続けてくれている人たちに感謝。。。


優しい気持ちで話をただ、聞いてくれ、
悲しみに心を添わせて、でも一緒には沈まない、愛の存在に感謝。


いつもありがとうございます。



今日も健やかで安心の時間が沢山流れていますように。



戸張碧月








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