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希望を全て失ったときにどうやって生きていくか

こんにちは。ルーズ・リーです。

映画「JOKER」観てきました。

凄い。凄すぎ。何もかも。

正直、人生の1本としてこの映画を挙げるぐらい気に入りました。

そこで今回は「JOKER」について考察していきます。

ネタバレもあるのでお気をつけを。ちなみに前評判は個人的にあまり入れていかない方が鑑賞後の考察の幅は広がると思います。

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さて!何から話そうかな。凄い映画なので言いたいことは沢山あるし、考察も何パターンかあるのですが...。

みなさんの生きる糧って何ですか?

唐突にすみません。

でも、一度真剣に考えてみてください。

きっと、家族のために生きる、とか夢を叶えるために、とかいろいろ出てくると思います。

多分それは1つだけではないし、多ければ多いほど生きる活力が湧いてきますよね。

私だと、もっと美味しいもの食べたい、とか、見たことのない景色を見てみたい、とか27 CLUBに入れるような逸材になりたい、とか小さいものから大きいものまで沢山あります。

だから毎日楽しく生きていられるし、ましてや死ぬなんてことは考えられない。

でも、生きる糧となる要素がだんだんと減っていって最後のひとつでさえも無くなったとき、あなたはどうやって生きていきますか?

想像するだけでもしんどい...(笑) 。

でも、この状況が今作の主人公アーサーがジョーカーへと変貌する契機となったんちゃうかな、って思います。

序盤から中盤までのアーサーには生きる糧がいくつかありました。

母親であったり、ご近所さんとの恋であったり、そしてコメディアンとしてテレビにでることを叶える夢であったり。

しかし、どんどん生きる糧が少なくなっていき、夢であるコメディアンとしてテレビに出る、ということにすがって生きようとします。

そしてそして、その夢がなんと叶ってしまうんですよね〜。

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ここで注意したいのは、殺人を犯すごとに夢へ近付いているという点。

いろんな見方があるかとは思いますが、私はそう感じました。

生きる糧を失いながらも死ぬことはできない、ならば殺してもいいよね。

殺人を犯しながら、自信をつけていくものの自分とは対峙できない。

人を笑わせたい、それで自分が笑っていられる。でも、自分をさらけ出すことで笑いは生まれる。さて、自分の殺人鬼という面はさらけ出して笑ってもらえるのか?きっと受け入れてはもらえないだろう。あぁ、せっかくコメディアンとして生きていけそうだったのに...。

そんな矛盾を抱えて夢のステージであるTV番組へ出演するんですね〜。

ここでみなさんならどうしますか?

選択肢1:コメディアンとして仮面を被りTVで大人しく笑いをとる。

選択肢2:自分をさらけ出し、仮面を脱いで自分と社会を試す。

多くの人が選択肢1を選ぶと思います。だって、恥はかきたくないし、よくみられたいじゃん。

でもジョーカー として生きる決意をしたアーサーは選択肢2をチョイスするんですね。

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自分に嘘をつく人生はもう終わりだ。

そんなとこでしょうか。

それを裏付けるように憧れだった番組司会者を撃ち殺します。だって、司会者は地位も名誉も全て仮面をつけて手に入れてきたんだろう? だから、自分(アーサー)のことを簡単にけなすことができたに違いない。

結局のところ、みんな何かに踊らされているピエロなんだ。

そう言われているような気がしました。

さて、ここで疑問点が上がってきます。

ジョーカー、なんで死なないの?そんな辛い状況なら自殺とかできるんじゃない?


その通り。死ぬことなんて簡単にできたと思います。

作中でもTV出演前までは何度も自殺をほのめかすようなシーンが多く見られました。

でも、夢が叶うまでは我慢した。夢が叶ったら自殺しよう。そんな感じだったのではないでしょうか。

しかし、司会者を撃ち殺したのちに護送車の中からジョーカーは新しい生きる糧を見つけるのです。

それは、ピエロの仮面を付けた民衆たち。

地位や名誉を持っている奴らこそが自分たちにとっては悪で、何もないジョーカーこそが我々のヒーロだとでも言わんばかりに盛り上がっている民衆。

彼らを見てジョーカーの顔は生き生きとしたものとなります。

自分が笑わせたかった人たちは金持ちじゃない、こういった民衆たちなんだ。そして、それが可能な手段はこれからジョーカーとして生きることなんだ。何だ、希望がないと思っていたけれどここにあるじゃないか。まだ、生きられる。でも、この民衆たちも結局俺が踊らせているピエロに他ならないけどね。僕の人生は喜劇だ。

ジョーカーのそういう声が聞こえてきそうです。

そうして、アーサーはジョーカーとして生きていくんですね。

よく、絶望の先には希望はあると言うけれどジョーカーの場合は希望と言うよりも生きる理由を見つけた、と思っておいた方がいいかもしれませんね。

さてさて、こんな感じでしょうか。

あ、とても重要なことを言い忘れていました。

この映画のストーリー、全てジョーカーの妄想だと思って見ると全て辻褄が合います。

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あの黄色い看板を持って行かれたそのときから。

そもそも、この映画ずっと何が真実で嘘かがわからない。

ここに意図を見出すとしたら、ジョーカーがどこかで語った嘘の自分の話だと思う他ないと思うんです。

ただ殺人を犯した。それだけが真実だと思って見るとかなりスッキリします。

私がバットマンシリーズで見てきたイかれたジョーカーはこんなまともな不幸から生まれないと思うわけです。

まあ、個人の感想ですけど。

あぁ、まだ話し足りない!

でも、ここに書いた考察・感想は可能性の1つとして思ってもらえると幸いです。他にも監督やスタッフが伝えたかったメッセージがこの映画には多くあると思うので。

何はともあれ、もう一回「JOKER」観たいな。







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