12.千羽鶴
小学校3年生の2学期、夏休み明け。
担任の高橋先生が提案をしました。
◯◯さんのお母さんが入院しています。
早く元気になるようにみんなで千羽鶴を折って贈りましょう。
◯◯さんのお母さんとは、私の母のことです。
この時、私は恥ずかしくて下へうつ向いてしまいました。
知っている人は知っているとはいえ、公には言っていなかったし、そんなみんなの前で言わなくてもという気恥ずかしさもあり、でも気にかけてくれているのがわかるようなうれしいような、子どもには表現しづらい戸惑いの気持ちでした。
また、先生に話していないのになぜ先生は知っているんだろうかと不思議でなりませんでした。担任の先生と父親が連絡を取り合っているイメージを持つことができないくらい幼い子どもでした。
千羽鶴作りがはじまり、休み時間等にそれぞれが鶴を折る中
鶴なんて簡単だしいつでもいいやと私は折らずにいました。
まあいいや、後でやろう
といういつもの先延ばし癖が発動していたのか
私の中に何かの意図があって、あえて折らなかったのか、まだ解き明かされていませんが
先生が時折り声をかけてくれ、やっていない子も折るようになり鶴の数は増えていきました。
結局、私はひとつも折ることなく千羽鶴は完成しました。
そして、この千羽鶴をいつまとめ、誰が届けたのか私の記憶の中に残っていません。
私はひとつも折らなかったという部分的な記憶だけが残りました。
当時の私は母のためにこうしてあげよう、ああしてあげようという気持ちがありませんでした。
子どもだから無くて当然という見方もありますが、それよりも何かに心を動かされるという部分が欠如していたように思います。自分自身に対してもです。
幼少期は兄と基地ごっこをしたり、川遊びをしたり、ケンカをしたりと遊ぶことに夢中でいられた私も居たはずなのに
小学校にあがり同じ学年の友人と過ごすようになってからは、自分を抑え込み大人しくなり、表情が乏しくなっていきました。
母親からの私に対する勉強という名の押さえつけが強まり、それと並行して母親の体が急速に弱まっていく姿に自分が追いつけなくなり、またそれと同時に私を一番に可愛がってくれていた父親が少しずつ様子が変わってきたことを受け入れられる力もなく
私は寂しく、それを誰かにわかってほしかったんだと思います。助けを求めることもわからず、ひとり寂しさの方へ身を置くようになっていきました。
ここまで書いてくると、なぜ私が鶴を折らなかったのかも少しずつ解き明かされてきます。寂しさに気づいて欲しかったんでしょうね。
切ないです。