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06.父親の変化
母親の胃がんが進行して入院することになりました。
本人には告知されていませんでしたが、本人が自分の病名を知ってしまう出来事がありました。
主治医の回診の際にカルテのファイルが入っているワゴンが病室まで一緒に押されてくるのですが、母親のカルテが開いたままで病名が見えてしまったそうです。
これは大人になってから親戚に聞いた話なので、その時に母親がどのような気持ちになったのか分かりません。でもショックだったでしょう。
お墓参りの際に母親が決まって言うセリフがあって
あんたたち(私と兄)の子どもの顔を見るまでは絶対に死ねない
といつも言っていました。いつもといっても父方のお墓参りの鬨だけでしたが。自分の家系のお墓参りの際にはそのセリフはありませんでした。
この違いは何だろうかと疑問に思っていましたが、母親の母親(私の祖母)は、母親が小学生の時に亡くなっていたので自分の孫を見れなかったから、死んでいる人物でたとえお墓の前であっても発言を躊躇したのかなと勝手に想像しています。
話を戻しますが、そんな母親でしたから孫の顔を見る前に自分が死んでしまうなんて到底受け入れられなかったことと思います。
そのことで落ち込んでいる姿を私はみたことはなかったのですが
その代わりに父親が落ち込んでいる様子を日々目にするようになりました。
あいつ、もう助からないんだってよ
このセリフは脳裏に焼き付いていて、今でも父親の声と共に浮かんできます。
この言葉を毎日誰かに電話で伝えていました。
いろんな人に伝えていたのか、ひとりの人に何度も伝えていたのかわかりません。たぶんその両方だったと思います。
泣きながら、鼻をすすりながら、母を思いながら、電話で母の余命宣告のことを嘆いていました。
その言葉が一番最初に耳に入ってきた時、私は衝撃を受けました。受けたはずなのだけど、それを声に出すこともなく父親に詰め寄って訊ねることもなく、同じ空間にいながら聞こえなかったかのように違う方向を向いていました。
お母さん死んじゃうの?って一瞬衝撃が走ったことは覚えています。
しかしそのすぐ後に違う気持ちが押し寄せてきて
ふうん、お母さん死んじゃうんだ、そっか
と自分を納得させる方向へ心が動きました。この時点で私は驚きを捻じ曲げました。
父親にそんなのいやだ!となぜ泣きさけばなかったんだろうと当時の自分の不自由さを嘆きたくなるけど、それを選択しない素質がすでに私の中に出来上がっていたのなら、その道しかなかったんだろうと思います。
それからずっと父親のその電話による
あいつ、もう助からないんだってよ
という言葉を夜に聴き続けることなりました。たぶん亡くなるまで毎日に近い状態続いていました。
私はいつしか、そんな父親が可哀そうと思う様になっていきました。
そう思うことで自分の悲しみを覆い隠すようにしていきました。