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09.母が入院時の協力者
母の義理の母。
つまり、母の父親の後妻。
つまり、私の祖父の2番目の奥さん。
私のおじいちゃんは3度結婚をしていました。なかなかにPOPです。
その真ん中の奥さんが、我が家に一時期お手伝いをしに来てくれていました。
母親とは折り合いが悪かったようですが、その後妻さんが
籍は抜いたけど困っているなら
と手伝いにきてくれたそうです。
※私は子どもながらに大人の事情というものをよく知っていました。なぜなら大人たちは周りに小さな子がいても配慮することなく会話をしていたからです。
私なりに聞いてない素振りはしていましたが、どうしたって耳に入ってくる。その内容を知り、無意識ながら傷ついていたことは数多とありました。
また、このことは大人になっても私の中で生きづらい癖として残っていきました。人の話を聞かない、聞こえない振りをする、とぼける、というような他者との関わりを難しくする癖が自然と身にまとい、私の性格の一部となっていきました。
お手伝いをしてくれる人が来ることは、喜ぶべきことなのかもしれませんが、私たち兄妹からしたら母との聖域であるキッチンに部外者が入ってくることに抵抗しか感じられず
思いっきり意地悪なこともいいました。
作ってくれた食事も食べませんでした。
酷いことをしたと思います。
可愛げのない子どもだったと思います。
私たち兄妹の言動をその方がどう受け止めたかわかりません。
母親が不在の期間を長く過ごし、さみしくて心が荒れてしまっているんだろう…と思ってくれていたとは思えませんでした。
なぜならすぐに帰ってしまったからです。
私たちが戻ってきてほしいのは、お母さんでした。
お母さんが作ってくれたハンバーグを食べたかった、味噌汁を飲みたかった。ウインナーを食べたかった。
その方の作ってくれたご飯は、その人の彩りでその人の味付けでした。
私はお母さんに戻ってきてご飯を作って欲しくて、そのままキッチンに居続けたのかもしれません。大人になっても。
お母さんの料理を食べたいがために、我が子たちに自分を投影して料理を頑張って作ったのかもしれません。
私の知る限り、それ以来その方に会うことはありませんでした。