アダルトチルドレンの罪悪感
ー 罪悪感 ー
という言葉から何をイメージしますか。
アダルトチルドレンと罪悪感は切っても切れない仲。
本当に感じるべき罪悪感は自分の中に持ちあわせておらず
逆に必要のない罪悪感には翻弄されてしまう人生といっても過言ではないと思います。
罪悪感とは
言葉の通り、悪いのは自分であって罪を償い罰を受けなければならないという自分を責める感情です。
私たちは公に他人を裁くことはできません。
それは法律が行うこと。
しかし、心の内ではいとも簡単に他人や自分を責めることができてしまいます。
ここではSNSの炎上警察的なことは視野に入れずに話しますね。
自責と他責は表裏一体であって、ベクトルが自分の外へ向いている人は他人を責める傾向に、自分に向いている人は自分を責める傾向にあります。
一見、他責の方が攻撃性があるように思われがちですが、責める方向が違うだけで根本はどちらも同じです。
私自身は、どちらかというと他責の傾向で、相手を悪者にして自分が被害者になるという癖があります。
そして冒頭にもかいた「要らぬ罪悪感」を持ちやすいのは自責傾向の人。
自分が原因では無い出来事に対して、とことん自分を責めて、どんどん自己否定を強めてダメな自分を作ってしまいます。これらは無意識でおこなわれます。
私の例でいうと
私は小学生の時に母親を病気で亡くしたのですが、母親が死んだのは私が千羽鶴を折らなかったからだと思い込んで、ひとり泣いていた時期がありました。
そしてそれを責められると、ずっと誰にも言えずにいました。
元々余命宣告されていたので、千羽鶴を折らなかったからじゃないのにね。
でも本気でそう思っていたのです。
母親の喪失感を受け入れられる心が私には無く、要らぬ罪悪感を自分に課すことで、子どもなりに自分の心のバランスを取ろうとしました。健気です。。。
アダルトチルドレンの多くは、家庭内で過去に要らぬ罪悪感を持たないと生きてこれなかったため、自分を守る術として必要としていたのだと思います。
自分が悪いことにすることで、家庭がなんとかまわり、うまく収まる。
子どもながらに辿り着いた、生きながらえる手法なんですよね。
幼少期に培われたその手法は、ますます磨きがかかり、大人になってからも無意識で要らぬ罪悪感を抱くのが馴染みの日常になっていきます。
ここで大きな落とし穴が。
要らぬ罪悪感は、考える力を停止させます。
自分が悪いことにしてすべてをおさめてしまえば、そこからどのようにしたら解決できるかという思考には…なりませんよね。
いいの、どうせ私が全部悪いんだから
私も過去に何度も口走ってきたセリフですが、なげやりです。
ここには、何をしても良い結果にはならないだろうという諦めもあるんですよね。
生育歴からくる心に根付いてしまった考え方で、大人になってからも苦しみ続けるのって、ほんとやるせないです。嘆きでしかありません。
だからこそ私たちは、自分のゆがみを知り、認めて楽になるために変えていく必要があります。
変わりたいと思うのであればですが。
この要らぬ罪悪感、アダルトチルドレンと限定しなくても、やりがちな人はわりといると思います。
チームで進めていたことが失敗に終わった時、自分のせいかもと思ってしまったり
団体で何かを成し遂げようとしている時に、自分がみんなの足を引っ張ってしまってるんじゃないだろうかって思ってしまうこと
あるように思います。
他人のやっている要らぬ罪悪感は、見つけやすいかもせれませんね。
それが分かってきたら、自分にも重ねて見れるようになってくるのではないでしょうか。