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考え方*感情は選択できる

湧き上がる感情ですが、「選択しているのは自分ということを意識すると楽になるかもよ。」というお話しです。

生活していると、さまざまな事象に対してさまざまな感情が浮かびますよね。嬉しい、楽しいだったらよいけど、イライラ、怒り、不安といった感情は少ない方が楽しく過ごせると考えます。もちろんイライラ、怒り、不安も重要な感情です。まったくなくなったら逆に生きていくのが大変になるかもしれません。まったくないという経験をしたことがないのでわかりませんが。。。

感情はどのように生まれるか意識したことありますか?
気がついたらイライラの感情に支配されているとか、勝手に湧き上がる印象ですがちゃんと順番があるようです。

思考(自動)→感情

感情の前に思考があるらしいです。でもこの思考は、自動思考と呼ばれるモノでほとんど無意識だそうです。この無意識の思考の結果、感情が選択されるという流れ。無意識。うーんやっかいですね。でも自動思考は、これまでの経験や親や学校生活など外部からの刷り込みが蓄積された結果から導き出される思考(価値観)らしいのです。ということは、生まれた時から備わっていた思考ではないということ。つまりは書き換えが可能ということなのです。

人間は学習する生き物です。すでにカチカチにかたまった脳みそをほぐし、新たな価値観を書き込むことは可能だと考えます。新たな価値観が定着すればそれを無意識で使うことができます。そうすればいままでと違った感情が選択されるハズ。

感情的になってまた失敗しちゃったなーってよく思っている感情も発生しなくなるかもしれません。ただし、そうなるまでには筋トレのようにある程度の時間が必要と考えます。でも、無意識とはいえ自分が感情を選択しているのだということに気が付けば、感情もいくらかはコントロール可能になるのではないかと思います。

部屋主はべき思考の価値観が強いと認識しています。それにより無駄な正義感がうまれてイライラすることがとてもイヤでした。駅の階段で逆走するしている人とか、歩行者優先の歩道を当たり前のように自転車のベルをならし走行する人とかに遭遇するとムキーってなります。でもムキーってなってもなーんにもいいことないのですよね。感情の無駄遣い。あるときから感情は選択できるを意識するようにしたら、同じシチュエーションでも「急いでいるのねー♪」と無意識思考の上から意識的に思考の上書きをして、やり過ごすことができるようになってきました。

まだ、無意識には程遠そうですが、訓練の成果はでていると思います。筋トレのように思考もトレーニングで鍛えることが可能を実感しております。

このように感情も自分で選択可能だといういことを意識すると感情の修正も可能です。知っていると知らないのでは大違い。まぁ間違った知識で新たな価値観ができちゃうと困るのですが。価値観に正解はないですからね。「情報をインプットすること、定着させることも自分で行なっています。」これを意識して生活すると、ちょっと生きやすくなるかもしれません。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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