if論
選択肢が1つじゃないとき
"もしもあの時、違う方を選んでいたらなあ"
なんて誰しも一度は思うだろう。
しかしその羨んでいる方を選んで見ている架空は夢のようなものであり
選んでいないのか事実だ、現実だ。
これを僕はif論(もしもしていたら)と呼んでいる。
if論はいつも現実世界と比べて良く見える。
なぜならそれは先程も述べたが
架空であり、現実ではないからだ。
このif論の世界があるなら
さぞかし楽しい人生だろう。
仮にif論通り違う選択をしたパラレルワールドが存在するとしたら
今すぐにでも行ってみたいものだ。
ここまで述べてきて、読んでくれた方はきっと気づくだろうが
if論というものは夢であり、存在しない。
更に言うならif論を唱えている人がいるとするなら僕からしたら滑稽である。
そもそもif論に辿りつくのは
選択肢を選んでうまくいかず失敗したか、
妥協をしたかであろう。
隣の芝は青く見えるとはこのことだ。
しかし僕はここで言いたい。
"そう思うなら最初から違う方を選んでおけ"
自分で選択したのに後になって
グダグダ言っているのはみっともない。
情けない。見ていて腹ただしい。
違う方を選んでおけばと逃げているだけだ。
そう言っても何か変わるわけでもあるまいし。
最後にここでもう一言言うなら
違う選択肢を顧みず
"選択ら最後まで自分が正しいと思い続けろ、その選択肢に胸を張れ"
その選択肢が本当に正しかったのか。
もしかしたら違う選択肢が正解だったかもしれない。
そんなの誰にだってわからない。
けれども、どんな選択肢を選ぼうとも
自分の力で正解にすることが
可能であると僕は考えている。
自分で選んだ"道"だ。
もしも失敗してしまったとしても
違う道を選んでいても同じ結果だったかもしれない。
それなら悔いの残らない選択をしろ。
仮に失敗しても後悔が残らないように。
自分のベストを尽くすべきだ。
人生なんて一度きり。
途中でセーブなんてできっこない。
だからこそ、自分が後悔しない正しいと思った道を選ぷべきだと僕は思う。
そしてこの青空のもと胸を張って生きようじゃないか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?