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2025.1.24目次 日本書記・古事記の隠蔽・改ざんされた論理的事実とその論理体系 

-四韓の王統と連枝した倭国皇統の系譜体系の新しく開発した『DNA種族解析法』による科学的論理解析ノート-

<注>記事と連動していません。タイトル表記は多少変更や修正があります。

<https//note.com(2023年11月~2025年1月掲載(マガジン・全無料)>
クリエーター名:論理古代史、「日本書記・古事記の論理的事実とその論理体系」
              
著者略歴:1947年生。島根県・鳥取県出身。理学博士。


<2025.1.9追補>
<要旨A>日本書記・古事記の隠蔽・改ざんされた論理的事実
2(11)新石器時代、弥生時代、古墳時代、倭国時代の文化は一貫して「DNA縄文人」が推進
<本論:第一部 論理古代史の解析基盤の概要> 
<本論:第二部 記紀の隠された論理的事実>
<本論:第三部 論理的事実を体系的に説明できる考察と結論>

<要旨B>論理的事実に基づく倭国の通史概要
<本論:第四部 記紀の論理的歴史の通史概要>
<本論:第五部 「DNA縄文人」の通史概要>

-目次ー

はじめに ・・・・・・・5

1.論理古代史の解析基盤の概要・・・・・・・・8

1-1.皇統系譜の解析における二つの基本条件
1-2.新たに開発した「DNA種族解析法」
1-3.日本人男性の主なハプログループ(Y-DNA)の種類と割合
     表1.日本人男性の主なハプログループ(Y-DNA)の種類と割合
1-4.多くの種族・部族の寄り集まりがもたらす日本特有の漢字の重層性
 (1)日本特有の漢字の重層性
 (2)南方系先住者と北方系支配者の言語系の共存
 (3)春秋時代の呉、越、楚のモン族、ヤオ族、トウチャ族に由緒をもつ日本の地名
(4)呉人系のモン/ミャオ/ミャオズ/苗(びょう)族(Y-DNA「O1系」)の日本での地名と特徴
(5)越人系のミエン/ヤオ/マン/瑶(よう)族(Y-DNA「O1系」)の日本での地名と特徴
(6)楚人系のビツカ(畢茲卡)/トゥチャ(土家)/ミンチャ(民家)族(Y-DNA「O2系」)の日本での地名と特徴
(7)新羅の音韻を形成漢字化した地名例
(8)伽耶の地の高霊郡の「火自振(fizzi-bul)」を形成漢字化した地名例
(9)済州島の古地名・耽羅の発音のTanlaを形成漢字化した地名例:
(10)漢字の導入・普及のために字音は先住族の同意呼語を使用
(11)地名の略称の解読試行
1-5.倭国皇統の氏族名や個人名のいろいろな付け方
1-6.倭国同盟の弥生人の部族の暗号呼音・暗号字とトーテム
     表2.弥生人の部族の暗号呼音・暗号字とトーテム

2.記紀の隠された主な論理的事実 ・・・・22

2-1.記紀の皇統の「DNA種族」
2-2.記紀の倭国『大王』の皇統譜は歴代高句麗王(227年~642年)と歴代百済王(304年~660年)を単純合成
  表3.高句麗王統の「DNA種族」と同一人の記紀の倭王『大王』
  表4.百済王統の「DNA種族」と同一人の記紀の倭王『大王』
  表5.新羅王統と同一人の倭王『大王』、高句麗王、百済王
  表6.新羅王統と同一人の倭王『大王』、及び、新羅王妃と同一人の倭国『大后』 
2-3.倭国の政事統括者は万世一系の「DNA縄文人」
 表7.物部氏の系譜
 表8.物部宗本家『大連』関係の血縁系統図
2-4.倭国『大后』の二つの系統
 表9.呉系 「トベ」系統の各地の例
2-5.天上の第一位非政事為政者の倭国『大后』、そして、四韓の王妃との二つの顔
 表10.呉系「トベ」系統の『大后等』の新羅名
 表11.継体朝以降の「トベ」系統の『大后等』の血縁系統図
 表12.越系「戸売(トメ)」系統の倭国『大后』の系譜と新羅名
2-6.倭国は世界標準の複都制
2-7.「DNA匈奴休氏」ニニギ族は「DNA匈奴金氏」の宗主
2-8.新羅借用昔氏(&金氏)朝(倭名は大国朝)の原初は金官加羅国の「DNA匈奴」金氏朝
  表13.新羅金氏の系譜
2-9.記紀の倭国金氏朝は、庶子系新羅王族分国の金官加羅国を出自とする新羅金氏7世代・新羅第13代金氏味鄒(ミスウ)王(在位:262~284年)=第3代安寧が始祖で、第36代孝徳=百済第31代(末王)義慈王(在位:641~660年)で終焉
2-10.朝鮮半島を南下した「DNA鮮卑族」和邇氏
(1)「DNA鮮卑族」和邇氏の祖由緒
 表14(b)各Y-DNAハプログループの該当者および備考
 表14(a).「DNA鮮卑族」・Y-DNA「O2a2系」のDNA系統図
(2)記紀の和邇氏の系譜
 表15.記紀の和邇氏の系譜
(3)朝鮮半島を南下した「DNA鮮卑族」和邇氏が二つに分岐
(4)百済系和邇氏
(5)新羅系和邇氏
2-11.高句麗系呉系倭人朝(第6~9代、300年~391年)と百済系垂仁朝(第11~14代、304年~375年)は並立皇朝
    表16.記紀の皇朝前期の王朝期間
2-12.国祖第10代崇神はニギハヤヒ[=第二代大国主・大歳]
2-13.第10代崇神が派遣した四道将軍の実体は呉系「トベ」系統の倭国『大后』の古くからの領国の示威が目的
2-14.神功皇后と第13代成務の役割は垂仁朝と応神朝の皇朝継承性の象徴化
2-15.和邇氏応神朝(第15、17代)と和邇氏雄略朝(第21~25代)は百済王空位期を利用した捏造朝 
2-16.「倭の武王」は反正朝(第18~20代)の正統継嗣の百済第25代武寧王斯麻(シマ)(在位:501~523年)
2-17.新羅金氏11世代・第26代継体の「継体」とは新羅金氏8世代・第16代仁徳の「体の継承」の意
2-18.金官加羅国王族(第16代仁徳、第26代継体、第29代欽明、達頭、等)は祖郷の中央アジア(突厥)が第二本拠地
2-19.545年頃以降、朝鮮半島の王妃の外戚争いが、特に第29代欽明頃に激化し、高句麗と百済は物部氏・大伴氏、新羅は尾張氏と棲み分け
2-20.蘇我氏の三つの系統[百済木羅氏、百済木氏、高句麗物部(蘇我)氏]
2-21.「DNA呉系倭人混血縄文人」である高句麗物部朝を559年に建朝し、642年に終焉
2-22.655年頃、高句麗宰相・金氏淵蓋蘇文=第37代斉明A[=第40代天武]が親新羅の倭国亡命政権を樹立
2-23.第38代天智、追贈(1870年)第39代弘文、藤原不比等は新羅和邇氏の系譜
2-24.「DNA縄文人」である倭国統括者は第50代桓武天皇から『天皇』に称号変更
2-25.古代神社と神社名の由緒の考察
2-26.大陸での共通の苦難・差別を共にした新羅妃、金官加羅国出自の「DNA匈奴」金氏、秦始皇帝後裔の「DNA匈奴」秦氏、「DNA鮮卑族」和邇氏の歴史的連帯感、そして、秦氏のかつての恩返しの平安遷都の全面的
財政負担
2-27.統一新羅後、朝鮮半島から「DNA縄文人」尾張氏を追放
 表17.朝鮮半島、韓国の「DNA縄文人」・Y-DNA「D1a2系」の割合
2-28.鮮卑族和邇氏が仕組んだ出雲大社の建造と平城朝廷臣下の「DNA縄文人」の出雲臣千家一族の山城国からの島根県・出雲国に移住
 (1)出雲臣・千家は「DNA縄文人」
 (2)平城朝廷臣下の出雲臣千家と杵築大社の創建の論理的事実
 (3)出雲大社に関する虚構粉飾説 [木造高層建築物、四柏手、左本右末の注連縄、神座は本殿直角西向き]
2-29.出雲と但馬の古神社の類似性[出雲国二ノ宮佐太神社、但馬国一ノ宮粟鹿神社]

3.論理的事実に基づく倭国体系の考察と結論・・・101

3-1.倭国為政体制は、地上の父系制倭国政事統括者『大連』と四韓の顔をもつ天上の第一位非政事為政者の母系制倭国『大后』との同位共同統治
3-2.天上の第一位非政事為政者の「母系DNA縄文人混血呉越系倭人」である母系制の倭国『大后』、そして、四韓との二つの顔
3-3.地上の「DNA呉越系倭人混血縄文人」である父系制の倭国政事統括者『大連』とその後裔達
3-4.記紀の倭王『大王』とは、扶余族盟主を継承した高句麗王と百済王の倭国との宿命的・永続的な対婚族同盟の証しである倭国称号で、倭国統治者を意味しない
3-5.「出雲の国譲り神話」の論理的事実
3-6.「DNA鮮卑族」和邇氏は4100年前頃の中国古代の東夷が原初で、扶余族盟主の後裔と推測
3-7.記紀の本史は第26代継体以降
3-8.漢族系渡来人である匈奴系と鮮卑族系との覇権争い
3-9.朝鮮半島の王妃の外戚争いが、特に高句麗第24代陽原王(在位:545~559年)[=第29代欽明]の頃に激化し、高句麗と百済は物部氏と大伴氏、新羅は尾張氏に棲み分け
3-10.高句麗滅亡(642年or 668年)、百済滅亡(660年)により記紀の倭国金氏の架空朝は終焉
3-11.高句麗・淵蓋蘇文と新羅は、統一新羅化の密約同盟をした疑いが濃厚
3-12.古事記編纂の第一目的は第40代天武の皇位継承元作為による皇位正統性の偽装
3-13.日本書記編纂の第一目的は第44代元正の継承元示唆による皇位の格の虚飾と和邇氏の皇統祖の示威
3-14.記紀の人工皇統譜の構造分析
3-15.645年以降の物部宗本家の動向と藤原不比等との通婚同盟
3-16.「倭」国名の原初は新羅の対外通称名
3-17.奈良時代は統治体制の遷移期で、平安時代藤原朝からは父系制のみの共同統治体制に変更
3-18.十七条の憲法の第一条「和を以て貴しとなす」の実意は「DNA縄文人には逆らうな」
3-19.統一新羅(三国史記)と倭国(記紀)は協調して為政者の連枝を隠蔽・改ざん
3-20.古事記と日本書記は日本固有な情感・「心」をもつ紛れもない日本の歴史書
3-21.新石器時代、弥生時代、古墳時代、倭国時代の文化は一貫して「DNA縄文人」が推進

4.記紀の論理的歴史の通史概要・・・・・・・・・・・・123

4-1.記紀の論理的歴史の構成
4-2.倭国部族同盟統括者の「DNA縄文人」の概要
 4-2-1.日本列島原住の「DNA縄文人」
 4-2-2.九州の旧石器人や縄文人を死滅させた巨大カルデラ噴火
 4-2-3.倭国部族同盟統括者の「DNA縄文人」である尾張氏、大伴氏、物部氏の概要
4-3.先史時代
 4-3-1.源流縄文人と扶余族系倭人と扶余族の共通原郷
4-4.倭国前史
 4-4-1.鮮卑族の倭国始祖神の「DNA源流鮮卑族前(サキ)族」である初代神武A脱解(タレ)
 4-4-2.紀元前3世紀頃から紀元前1世紀頃、「DNA匈奴系」が出雲八雲朝へ侵攻
 4-4-3.二世紀初め、「DNA越系倭人」の倭の面土国王・師升
 4-4-4.三世紀初期から中期、「母系DNA越系ヤオ族倭人」・Y-DNA相当「O1b1系」である伊都国女王許(キョ/コ)氏卑弥呼
 4-4-5.新羅金氏朝の原初と伽耶・新羅の金氏朝の国難、および、ヤマト東遷の論理的事実
  (1)184年、金官加羅国初代金首露王は避難移住して新羅借用昔氏朝(倭名は大国朝)を建朝
  (2)197年頃、新羅王スサノオ、新羅太子・大歳(後のニギハヤヒ)、新羅太子妃・宇賀御魂命が九州に避難移動
  (3)251年頃、ニギハヤヒと宇賀御魂命は辺境の大和に避難移動
  (4)261年、新羅借用昔氏朝(倭名は大国朝)の滅亡、そして、262年頃のニニギ族同盟軍の第二期大和東遷
  (5)300年頃の鮮卑族慕容部の伽耶逗留と304年に百済慕容部朝建朝、その後の慕容部同盟軍の第三期ヤマト東遷
4-5.記紀の皇朝初期を集約した前期の神武朝から雄略朝まで(倭国初代~第25代)
 4-5-1.宗主の神武B朝ニニギ族と臣下の新羅金氏始祖・第3代安寧(227年~292年)
 4-5-2.百済系垂仁朝(304年~375年)と並立する高句麗呉系倭人朝系の倭国古志朝(300年~391年)
 4-5-3.倭国古志朝(300年~391年)と並立する倭国垂仁朝(304年~375年) 
 4-5-4.第3代安寧の傍系庶子系の新羅金氏8世代・第16代仁徳(392年~413年)=倭王讃
 4-5-5.第一期百済王空位期(375年から420年)を埋める象徴祖神の和邇氏応神朝
 4-5-6.新羅金氏正統継承者の反正朝(402年~479年)
 4-5-7.第二期百済王空位期(475年から501年)を利用して捏造された和邇氏雄略朝
4-6.記紀本史の第26代継体以降
 4-6-1.記紀編纂者達の直祖の第26代継体
  (1)第26代継体の祖系譜
  (2)第26代継体の主な三つの後裔系統
  (3)第26代継体の生涯
  (4)545年頃以降、尾張氏外戚の新羅系と物部氏外戚の新羅王族分国の金官加羅国系との朝鮮半島での覇権抗争が激化
 4-6-2.尾張氏外戚系安閑朝(第27安閑、28代宣下)
 4-6-3.物部氏と同盟し、その後離反した欽明朝(第29欽明、30敏達、32捏造王崇峻、33代捏造王達頭)
 4-6-4.舒明朝(第34舒明、36代末王孝徳)
4-7.母方祖父の欽明朝に繰り入れられた高句麗物部朝(第31用明・蘇我馬子、35代皇極A蘇我蝦夷)
 4-7-1.蘇我馬子と物部宇麻呂と高句麗第25代平原王とサーサーン朝ペルシア帝国皇帝ホスロー二世は皆同一人
 4-7-2.559年の「DNA縄文人」である高句麗物部(蘇我)朝の初樹立と物部(蘇我)馬子(551年生~628年歿)
 4-7-3.<2024.9.8改訂>物部(蘇我)蝦夷(エミシ)(586年頃生~642年歿)と子・入鹿(イルカ)(645年歿)
 4-7-4.「蘇我氏」の氏族名の由縁に関する考察
4-8.645年以降の物部氏同盟と第40代天武同盟の覇権争い
 4-8-1.物部氏同盟と第40代天武同盟の覇権争いの概要と年表
 4-8-2.645年以降の物部氏同盟群による倭国政事統括体制
 4-8-3.第40代天武と統一新羅、尾張氏との同盟
 4-8-4.現在『天皇』の直祖の物部宗本家第18代・石上氏麻呂(640年生~717年歿)
 4-8-5.和邇氏藤原不比等の実権掌握
  (1)藤原不比等の由緒
  (2)物部宗本家・分家との同盟
  (3)藤原不比等の傀儡朝の文武朝(42文武、43元明、44元正、45聖武)
  (4)和邇氏藤原不比等と大伴氏系県犬養三千代の連携
 4-8-6.一都制平安京(784年~1869年)への遷都と日本為政体制の変更

5.「DNA縄文人」の通史概要・・・・・・・200

5-1.倭国草創期の「DNA縄文人」
5-2.251年頃、尾張氏と新羅借用昔氏匈奴金氏系ニギハヤヒの同盟者が第一回ヤマト東遷・避難移住
5-3.262年頃から270年頃、神武朝初期に大伴氏と高句麗ニニギ朝系匈奴の同盟者が第二回ヤマト東遷・侵攻
5-4.記紀が古志朝で集約した呉系「トベ」系統『大后』の父系祖の大伴氏、物部氏、鮮卑族和邇氏
5-5.304年直後頃、伽耶の物部氏・大伴氏と鮮卑族慕容部との同盟軍が第三回ヤマト東遷・侵攻
5-6.垂仁朝時代に鮮卑族の先進文明を導入した大伴氏と物部氏の興隆
5-7.第16代仁徳で象徴化したいわゆる出雲の国譲り神話にした為政系統の維新
5-8.雄略朝時代の大伴氏と鮮卑族和邇氏の興隆
5-9.継体朝時代の高句麗外戚の大伴氏・物部氏と新羅外戚の尾張氏の棲み分けの始まり
5-10.物部宗本家・分家と第29代欽明の同盟と離反
5-11.物部宗本家用明朝の高句麗王朝の初樹立と短期滅亡
5-12.645年以降の物部本宗家・分家の継承と鮮卑族和邇氏との同盟
5-13.第40代天武以降の尾張氏・匈奴の同盟と物部氏・鮮卑族との同盟の抗争
5-14.物部氏『天皇』と鮮卑族和邇氏『大臣』による異源流アイデンティティの共存した男系共同為政体制への変更

6.今後の課題提起 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・221

(1)近隣国の歴史性
・占領国[中国:秦、漢、元、明、清、中華人民共和国、戦前の日本]
・被占領国[日本:戦後6年間(1945年~1951年)]。
・属国[敗戦後の日本、朝鮮半島:新羅・百済・高麗・李氏朝鮮、満州国(1932年~1945年)、韓国]。
・併合[秦、漢、元、明、清、中華人民共和国の自治区(チベット・新疆ウイグル・満州・内モンゴル)、大韓帝国併合(1910年~1945年)、台湾併合(1895年~1945年)]。

(2)世界の孤立文化の「DNA縄文人」の多元性原理と「DNA鮮卑族」や「DNA匈奴」や中国・韓国・欧米の単元
性原理の根源アイデンティティの原理究明と相克
・多元性原理:強力な武力保持による共存共生と柔軟性[多神信仰、神の併合化質実剛健、本質追及性、シンプル性、わびとさび、創意工夫性、持続性、等]
・単元性原理:唯一専権と覇権主義[唯一絶対神信仰、他神の殲滅、豪華絢爛性、唯一専権制、覇権・差別主義、等]
 
(3)日本敗戦後の三つのトラウマと近隣国の超歴史トラウマ
・日本敗戦後の三つのトラウマ:天皇制廃止、自衛隊解体、財閥解体。
・朝鮮半島の超歴史トラウマ:属国化
(属国精神:国益より私的利権の優先、強者迎合と弱者いじめ、空論的論理展開と感情的決断の乖離性、秀才的努力による高度化・洗練化、迎合的官僚精神、等)。
 ・中国の超歴史トラウマ:被占領化
(占領者精神:易姓革命、覇権主義、豪華威圧文化、併合国への過度な警戒心と弾圧、被占領人による国力維持、差別主義と弱者いじめ、等)。
(被占領者精神:占領国体の自発的受け入れ、強者迎合と弱者いじめ、等)。

おわりに ・・・・・・・・・・222

参考文献 ・・・・・・・・・・224

<以上>