読書感想文:斜陽(太宰治)~このご時世に読むといいと思う~
太宰治の作品はもちろんすべて好きなのだけれど、なんか大きな声でいうと「かぶれてる人」と思われそうで敬遠しているところがありました。(ただの自意識過剰😂)
ただ、この作品は久しぶりに、ものすごーーーく心が揺さぶられました。
「The 衝撃!!」
魂に響くロックを聞いたときと同じような、魂の何かにつながって強く揺れるみたいな感覚です。
戦後の貴族の没落が描かれる過程で、母子の愛、家族の絆、恋がちりばめられています。真に育ちがよい人って純粋。痛いほど純粋。それは美しいし、優しいし、守られてほしいのだけど、世の中が混乱を極めていたり、経済的に暗い時代に入ると、簡単に破壊されてしまう。繊細だからね。弱いというより繊細だと思う。無防備。無菌室の中に最強のウイルス突然入った!ように感じでしょうか。
人生を生き抜くことは難しい。大多数の人にとっては感じないであろうこの世を生きる苦しみが、弟の直治から伝わる。共感する人も多いんじゃないかな。
一番印象に残っているのは
「僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけもののふりをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けないふりをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきのふりをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちのふりをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しいふりを装っていると噂した」
あまりにも簡単に表面に見せている姿をその人の本質だと勘違いし、疑いもしない人がマジョリティだと思います。自分と他人の間にあるそのギャップに戸惑い、あまりにも単純なその審眼をどこか蔑み落胆し、絶望してしまう。本当の自分を誰にも理解されないことは苦しいことですしね。
「道徳の過渡期」という表現が出てきますが、これも言いえて妙だなと思います。今のまさにこの時代にも言えること。その中で道徳の犠牲者となってしまった直治。
繊細な審美眼を持つ者にとっては、人間の生きる強さは時に汚く下品に映ってしまうのでしょう。生まれながらの不平等は、時として高いところにいる者も苦しむことがあるということ。また、その不平等は認められず「人は皆同じ」この常識が人を苦しめる。同じじゃないと悟れば納得できることだってありますよね。
本当の自分をわかってもらえない孤独の辛さ、善悪の定義とこの世を生きることのアンバランス、そして、興奮して立ち上がりたくなるくらい美しく的を得た表現の数々!!!ありがとうございます、太宰先生。
最後に女の弱さとたくましさも印象に残る名作でした。