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新婚1年38歳、癌になる! #002

 癌と診断されるには何かしらの検査が必要である。急に癌になったと理解するものではない。今回から癌が見つかるまでの話を記していこう。振り返ってみると、私の人生が10回あったなら9回は見逃していたのではないだろうか。

 時はさかのぼること7月上旬。

 今思えば未来を暗示する梅雨明け前の嫌な天気だった。空を見上げると、幼い子供がパレットでいたずらに絵具を混ぜ合わせたようなくすんだ色が不気味に思えた。

 念のため筆を止め過去の天気を確認してみたが、どうやらその日は快晴のようだ。いい加減なことを言うものではない。そう、確かに晴れていた。

 朝、目を覚ますと胃に違和感があることに気付いた。私はすぐにピンときた。昨夜食べたCOCO壱の10辛が悪さをしている。小学校1年生の算数並みの簡単な問題だった。

 妻にもCOCO壱が胃で暴れまわって痛いと話したことを覚えている。私にとっては毎回の事なので、笑い話の一つとして消費された。ただ、今回いつもと違うのは翌日だけではなかったということだ。

 常に痛むわけではない。決まったタイミングで痛むのだ。食事を摂取してから数時間後にそいつはやってくる。そして空腹が満たされると去っていく。それが数日間続いた。

 賢い皆さんにおいては、それは当然病院に行くだろうとお思いだろう。しかし、ここには叙述トリックが含まれている。痛いという言葉、これが厄介なのだ。

 つまり痛くないのだ。

 何を言っているのだと思うだろう。この痛みを適切に表現するのなら、ものすごくお腹が減った時に胃が収縮するあの感じといえば伝わるだろうか。

 ということは、食事を取って数時間後にお腹が減ると表現することができる。いたって健康そのものではないか。いつもよりお腹が減る。食いしん坊になっただけではないか。カレーには食欲を掻き立てる力がある。何も不思議なことはない。

 ただ、この状態を一言で表す言葉を持ち合わせていなかったため便宜上、痛いと表現していたまでなのだ。無学浅識は恥じるところだが怪我の功名、今回はこれに救われたところがある。

 痛い痛いという私の間違ったワードチョイスに妻が反応を示した。妻は母や祖母が癌を患った経験を持ち、友人や同僚にも同様の人がいる。そして、妻自身も過去に脳下垂体腫瘍を患っており病に敏感だった。

 私は妻を最上級にリスペクトしている。病院嫌いの私、正確には極度の面倒くさがりの私は、親兄弟に病院へ行けと言われても行くとだけ返事をして行かなかっただろう。しかし、妻が行けと言えば嫌だと言いながら行くのだ。妻と出会っていた、これも今回の癌の発見に大きく貢献した。

 そして、近所のクリニックで診察してもらうことになった。エコーでは何も見つからなかった。私は妻に言われていたので胃カメラをお願いした。先生は何でもないと思うけどと言いつつ、消極的に胃カメラの予約を入れてくれた。

 これが幸運だったのか何の影響もなかったのかは知るすべはないが、胃カメラ当日に40度の高熱にうなされた。新型コロナウイルス感染症だ。胃カメラは中止となった。

 別日の予約をとなったが仕事との折り合いがつかず、他のクリニックで胃カメラを受けることにした。このクリニックこそがこの町一番の名医のいる消化器内科だったのだ。

 偶然では決してない。妻が良い機会だからとありとあらゆる情報網から調べてくれたのだ。

 そして、当初の予定からは少し遅れてしまったが、胃カメラができることになった。予約を取った日にエコーやレントゲンを撮ったが、やはりというべきか何も異変は見つからない。

 何でもなかった、この時の私はそう思っていた。

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