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「失言」で後悔しない方法ー上越市長に学ぼう‼


多かれ少なかれ、人には失言の経験があるだろう。

口を滑らせて後悔するケースもあれば、自分では気が付かないものもある。その場でなら謝って許してもらうこともできるが、時間が経過するともう無理だ。

人は段々と成長するから、年を重ねた結果、若い頃の失言に気が付くこともある。情けないことに筆者にもそういう思い出がいくつもある。最近は「自分は大小取り交ぜて色々と他人様にご迷惑をかけながら生きてきたのだから、少々嫌なことがあっても我慢しよう」と思うようになった。

しかし、地位や立場によっては、それではすまされないことになる。

給料5カ月分をカット

新潟県上越市の中川幹太市長は7月8日の会見で、自身の給与の5カ月分(7~11月)を全額削減する方針を示した。6月の市議会で、市内に工場のある企業の名前を挙げたうえで、工場勤務は高卒レベルの人が多く、「(地元への)企業誘致で頭のいい人だけが来るわけではない」など、学歴差別ともとれる発言をしたためだ。

市長の給料はおよそ82万円。市は関連の議案を同19日の臨時市議会に提案する。議案が通り、市長給料が全額カットされれば、同市では初めてという。

市長は「二度と失言はしない」とし、専門家からアドバイスを受けていることも明らかにした。

学歴だけを比べれば「高卒」より「大卒」、「大卒」より「院卒」のほうが上であるのは事実なものの、「高卒レベル=頭が悪い」とするのはいかにも短絡的だろう。失言を避けるための指導を受けることは結構だが、本質的なモノの見方というのも再考願いたいものだ。

繰り返される失言

それにしても、自ら率先して専門家の指導を受けて再発防止を図るというのは結構なことだと感心したが、どうやらそうせざるを得ない、“前科”がこの市長にはあったのだ。

2022年4月19日、中川市長は若手経営者グループ主催の意見交換会に出席し、商店街の現状を指摘する中で「直江津に商店街はない」などと発言した。同月27日の定例会見の中で「真意が伝わらず、誤解を与えた部分についてお詫び申し上げる」と謝罪した。会見では記者から、真意や誰に対しての謝罪なのかを問う質問が相次いだ。市長は「近々商店街の皆さんに直接会って説明する」と話した。

2023年7月5日、上越市内で行われた新潟経済同友会との懇談会で、市内の私立高校2校の校名を挙げた上で「県内では県立、公立よりもレベルが下にある」と発言した。席上で一旦は発言を訂正したが、記者対応で「偏差値が低い」などとも説明した。翌日に市長は2校へ訪問し謝罪した。

給料カット程度で見逃してもらえたことは、市民に深く感謝しないといけない。次やったらアウトだ。

失言を連発した知事も

中には、周囲が不快に思う失言を連発し、最後は失言の責任をとって辞職した知事もいる。前静岡県知事の川勝平太氏だ。

同氏は、2024年4月1日に行われた新規採用職員への訓示で「県庁はシンクタンク。野菜を売るのとは違う」などと発言し、「職業差別ではないか」との批判を浴びていた。これを受け、6月議会をもって辞職した。

また、2021年10月には参院静岡選挙区補選の応援演説で、元静岡県御殿場市長の候補者を念頭に「あちら(御殿場)にはコシヒカリしかない」と発言している。

選挙というのは戦だから言葉が攻撃的になることはある。ただ、県の行政を統括する知事の発言としては不適切で、県民に対して失礼だ。同氏の知事時代の失言はほかにもある。

つい本音が漏れてしまう

辞書を見ると「失言」とは、「言ってはいけない事を、うっかり言ってしまうこと。また、その言葉」とある。

思っていないこと、思ってもみないことは、そもそも口には出ないものだろう。つい本音が漏れてしまい失言となる。よく「思いもよらないことを言ってしまった」と言い訳する人がいるが、そうかな? 下地があるだろう。地位が高い人、学歴が高い人は、一般に人を見下しがちだとされる。何を内心思うかは各自の自由である。多くはそれを口外せず、気持ちの段階にとどめている。

しかし偉くなると、部下や周囲がチヤホヤしてくれる。何事にも上から目線になりがちだ。出世の階段を上がるとともに、自身に歯向かう人も減っていく。となると逆に、失言を誘う罠も増えていく。あぶない、あぶない。それをどれだけ自覚できるだろうか。

失言を避ける方法

ある大臣の失言が話題になっていた時、ビートたけし氏は、まずいことを言わない方法として、「落語や漫才の勉強をしてみては」と勧めた。

「自分達が漫才をやっているとき、もう1人の自分が客席に居ないといけないといつも言われていた」。

客席から舞台の自分がどう見えるか、自分で注意して確認する。自分が自分のお目付け役になれば、発言だけでなく振る舞いも含めて自分を制御できそうだ。


何を言うかが知性 何を言わないかが品性


「何を言うかが知性 何を言わないかが品性」

これは小沢一敬さんというお笑いタレントがテレビのバラエティー番組で言った言葉だ。なるほどなあ、と思う。

勉強を重ね知性を磨いていくと、話す内容も深く多彩になっていく。一方で知ってるからといって、何でもかんでも自慢げにひけらかすのは品がない。

そういえば、落語には、覚えたことをすぐ人に自慢したくて失敗し、最後は恥をかいて笑われる与太郎の話がいいくつもある。

どれだけしくじってきたかが、その人の人生

知性と品性。人は成長しつつ、そのバランスをうまくとる術を身に着けていくのだろう。そして、どれだけしくじってきたかが、その人の人生の現在地なのだろう。

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