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ミシェル・フーコーの「巧緻な権力」



1. フーコーの権力の巧妙さとは?

私たちの社会は個人の認知や承認が個人の自覚がないままに、
いつの間にか形成されてしまうという仕組みがあります。
フーコーの指摘です。この巧妙に作用する権力は、社会の知の体系と結びついてもいます。見方・考え方を変えてみなさいという。見えるべきものも見えなくなります。

重田園枝が「監獄の誕生」を中心にフーコーから学ぶことを解説しています。(「ミッシェル・フーコー」)

先日の朝日地球会議で「虎に翼」のテーマで重田は「主権者教育への鋭い批判」をした注目の現代思想学者です。


アーレントの洞察と未来透視
〜全体主義的社会への危険とウクライナとロシアの戦争〜

朝ドラ「虎に翼」から学ぶこと

フーコーの「監獄の誕生」は世界中で読まれました。
教育学、心理学、精神医学、犯罪学、刑事法学などの様々な分野で研究されました。社会理論や政治理論でも多くの著作が生まれました。
精神医学への疑問、脱病院化、脱施設化、教育の多様化、刑務所の改革、性的マイノリティの権利運動などへも大きな影響を及ぼしました。

2. 「一望監視方式」とは何か?

「一望監視方式」 は、一番有名な章です。規律権力がなぜ特定の閉鎖空間を超えて普及してゆくのか、近代特有の事情が主題となっています。

規律型の人間は教室でひたすらノートをとり、私語もなく、教師に従って従順な学習をします。社会では、生産性の高い能力を発揮します。自分の意見を抑えて、社会の流れに従います。規律権力は、身体、空間、時間をどのように配分したら良いかのノウハウを待っています。19世紀になって、児童心理学、精神医学、臨床心理学、犯罪学、臨床医学などの一連の学問が生まれます。

これを近代における規律化のプロセスの進展という側面からみると、人間の心と体に関する科学という新分野が、科学一般の進歩の結果として発見されたのではないことがわかります。

学問と、空間と、時間の区割りと活用によって作用する権力の企みです。権力が作動する際に必要とされた正常と異常という尺度の発明がありました。
「異常者の発明」です。日本の精神医療の遅れは社会からの隔離を治療としているからで、なんと世界の1/5の精神疾患病床があります。社会を反映しています。

さらに、異常者の析出などのプロセスの中で見出され、規律権力の機構の数々が生み出されます。監視機構を強化するポリスもその一つです。

丸山眞男の「国家理性論」では、戦後の日本は、個人と対峙する国家というイメージが失われたように思う。反イデオロギーを潰すという国家観、国家理性という言葉を聞かなくなる。しかし、そう見えているがこれも「権力の巧緻」」によるものではないかと指摘します。

3. 規律権力の源はどこにあるのか?

フーコーは規律の源を探ります。プロテスタントの多い地域で資本主義は発達しました。倫理が自己を律すると同時に、他者も律する。そのことが規律化した人間を近代の主役へと押し上げてしまった。

その人が救われるかどうかは、神のみぞ知る。人にはその焦燥感があります。本来、富には価値を置かない厳格なプロテスタンは救いの証を求めようとして富の獲得に邁進してしまう。しかも周囲の人を道具として使う。そこから倫理が生まれる。規律は、倫理という出自があります。

4. 自己を律するための経験の重要性

私たちが規律の権力の中で埋没しないためには自律することが必要です。
規律権力は個々の心に入り込んで規律の内面化を行いますので、
社会の規律に従う前に自らを律する必要があります。
私たちは、社会に出て、他者の存在を理解して、かつ自らを主張することで
共同的な営みを得られる。そのためには、まず自分とは何者か。
知る必要がある。言動への責任者を持たなければなりません。
メタ自律者になることとは経験を深めるということではないでしょうか。

フーコーの思考は複雑なので全てを、全体を通して読み解くよりも
そのテーマを一つずつ考えることが良いと考えました。
今回は権力の巧みさについて考察する。


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