生きること、学ぶこと
Google 中心に、子供の世界が回っていることの問題は何か?
〜ソクラテスは、2000年前に、情報リテラシーについての危険と戦っていた〜
「人間としての成長は、吟味した言葉と分析に基づく思考のみが真の徳につながる道である。真の徳のみが社会を正義に導く。」ソクラテスの教えである。この学習方法は、対話によって思考を深めるもので、対話によって日々議論を重ねることが最大の善である。ソクラテスは、書き言葉は社会に深刻な危険をもたらすと強烈に感じていた。
「プルーストとイカ」の著者メアリアン・ウルフは、ソクラテスがなぜ書かなかったのかに気づき、愕然とする。
デジタルの世界に没頭している現代の子供たちに対して懸念していることとぴったり重なる。
この問題提起は、実に、2008年に行われた。まるで、今日の生成AIを予測していたようである。
膨大な量の情報が瞬時に表示されるコンピューターの文章一辺倒になった場合、脳がこれを分析、推論、批判したりする意欲をなくしてしまう。あまりにも膨大のため、あまりにも時間がかかるため、脳がこれまでとは違う運動をすることで、数千年の脳の際限なき進化による能力が退化してしまわないかという懸念である。
コンピュータに張り付いて、あらゆる情報を吸収していても、このような不完全な学習は真の知識と知恵と徳の習得には至らない。
The incomplete learning will not lead to an education whose purpose is true knowledge, wisdom, and virtue. many interesting and possibly quite important insights into what we are allowing Generative AI to do to our brains.
リテラシーが個人の記憶への負担を軽くすることにより、文化的記憶を大幅に増加させるが、それは良いことではないと、ソクラテスは考えた。
話し言葉と書き言葉の相違は、リテラシーが記憶と個人の知識の内面化に
もたらすだろうと懸念した変化に比べればましと言えた。
「暗記」することの重要性がある。そのプロセスが大切である。書記言語はこの記憶を破壊するものになってしまう。リテラシーは便利で役に立つが、人間の記憶する能力を衰退させてしまう。
コンピュータを使えば、誰でも、いつでも、なんでも教師不在で学べるが、この学習方法から言葉、思考、真実、徳の掘り下げた学びは本当にできるのあろうか。
Human beings invented reading only a few thousand years ago.And with this invention, we changed the very organisation of our brain, which in turn expanded the ways we were able to think, which altered the intellectual evolution of our species.
際限なき進化という脳の働きを退化させてはならない。
「私の人生は言葉とともにある。本を読むことの意味を考える。
デジタル文化の移行が加速している人類史上のこの重要なとき、人間の知能の発達に読む行為ほど、当たり前のことと思ってはいけないものはない。」
と、生成AI時代を予測したかのように、警告を発している。
私たちは文字を読む時に何をしているのだろうか?
プルーストの知的次元とイカの生物学的次元の両方からひもとく。
In "Proust and the Squid", Maryanne Wolf explores our brains' near-miraculous ability to arrange and rearrange themselves in response to external circumstances. She examines how this 'open architecture', the elasticity of our brains, helps and hinders humans in their attempts to learn to read, and to process the written language.
そのスタートが、人間の脳の視野領域がいかに働いて、文字なるものを認識してきたのかを、文字の歴史から読み解く。シュメールの楔形文字、エジプトの象形文字、古代ギリシャのアルファベットなど。
面白いことは、アルファベットがなぜ今日まで広く使われるのかと言うことであるが、その理由は、1)26文字で効率的であること、2)斬新な思考を生み出しやすいこと、3)ギリシャ人が複合音声から短音を切り出して、音声との相性がよく識字を促進したことである。
斬新な思考を生み出しやすい、ということがとても興味がある。それでは中国語、日本語などの音節言語は新しい思想を生みにくい文字なのだろうか?
中国語や日本語を読む時の脳の働き、4つの頭葉の働きを分析すると、明らかにアルファベットを読む時とは違うことがわかる。脳のすごいところは、
それぞれの文字に適したフレキシブルな使い方をする。例えば、日本語の漢字、ひらがな、カタカナを読み分ける機能は極めて複雑な視野の使い方をするし、中国語のように数千の文字を素早く読む脳は視野を沢山使うことがわかった。
ソクラテスは、リテラシーそのものを否定したのではなく、真の知識は、情報中心に回るものではないということを考えた。
人生の真髄を見極めるためには、とてつもない記憶力と時間を惜しまない努力によって個人的知識を内面化する必要があるということである。デジタルテキストは脳の駆動に適合しているという研究もあるが、ソクラテスの懸念はもっと深い。
検索エンジンのお陰で数十億人の人がインターネットによって、誰にも何にもアクセスできる今、「知識の伝達に対する社会の責任」という問題がある。このことが、いかに人間の脳の進化に甚大な問題をもたらすかについて考える必要がある。
ソクラテスが当時の若者に提起したことは、今の子供たちにもあてはまる。指導なく氾濫する情報に惑わされ、知識を得たと錯覚した子供達は、本当のものに至るのに時間がかかり、かつ批判的思考のプロセスが奪われている。