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なぜ日本の「個人情報保護法」は甘いのか
〜EUは、弱者の立場で個人を守る〜
個人情報保護法に関する、日本と欧米の根本的な違いの指摘を、山本龍彦「おそろしいビッグデータ」から学ぶ。
EUのGDPR(一般データ保護規則:General Data Protection Regulation)は、日本の個人情報保護法とはその思想が違う。EUでは民間企業による個人情報の取り扱いは厳しい。憲法の人間の尊厳、個人の尊重、という基本的権利と結びついている。
そのために、弱者である個人の立場に立った次のような規制がある。
1)プロファイリング(個人のプロフィールを調べる)に異議を唱える権利
2)コンピューターの自動処理によってのみ法的効果を及ぼす決定をされない権利。採用、与信など
3) 透明性、ロジックやアルゴリズムの告知が必要である。
GDPRは個人情報保護というよりも、AIが憲法の基本的原理を侵食しないように先手を打っている。アメリカでも憲法レベルでビッグデータの危険を議論している。
一方の日本の現状である。
日本では3年ごとに個人情報保護法を見直すが、欧米と異なり、経済原則がベースで議論が進む。
経団連は、「企業の個人データの活用を萎縮させる規制はできない。」経済が全ての考えであり、自民党も「データ利用を阻害する規律強化を認められない。個人情報保護委員会の政策立案と執行を分離すべきである。」とまで主張する。
日本は個人情報の保護自体が目的化していて、つまりは、経済合理性ベースの議論になっている。
ブロファイリングによる、差別の問題が日本では前提化していない。
これだけ大企業からの膨大な個人情報漏洩や流出が、個人の権利を侵す深刻な事態を起こしているにもかかわらず、日本はどこまで経済優先の民度の低い文化三流国になれば気が済むのか?
この問題で、個人が自己防衛的にできることは限られている。
個人は丸裸にされていく。
本当に恐れなければならないことは、ビッグデータに基づく私たちのAIによる評価が、自動的にに受け入れられてしまうことです。憲法の基本的な価値が、否定するような形で使われてしまうことです。
私達はもっと声をあげなければならなりません。