生きること、学ぶこと
アーレントの洞察と未来透視力
全体主義的社会への危険とウクライナとロシアの戦争
〜政治的真理を語るロズニツァとアーレントの「真理と政治」〜
ウクライナとロシアの戦争の、それぞれのプロパガンダを聞きながら、「真理と政治」を書いたハンナ・アーレントを読み返して気づいた「真理」とは何かについて考えたのが重田園江「真理の語り手」である。その中心にウクライナの映画監督ロズニツァを真理の語り手として置く。
梗概である。
ロズニツァとアーレントとを結びつけたものは、ソ連時代の、集団強制移住とグラーグヘの収容、民族浄化と第二次大戦期のウクライナおよび東欧のユダヤ人虐殺と言う全体主義的なものである。その中で、秘密警察的なものというテーマに行き当たる。
アーレントの言うように、プロパガンダの力は強かった。人はあまりにもひどいことは認めたくない。目を瞑る。自分たちに原因があると思うと耳を塞ぐ。
日本のアジア侵略におけるアジアの被害者への行為は、加害者としての日本人の心理が、まさに同じである。毎年の武道館の戦没者追悼式では、加害者としての日本は全て消される。犠牲になった人々には、日本国民しかいない。その犠牲者には加害者もいるのだが。
ロシアのウクライナ侵攻は確かに自殺行為である。とはいえ、ロシアのウクライナへの侵攻には、ウクライナにも政治的要因がある。ウクライナを支援できる政府、公的機関、市民があまりにも優柔不断であった。この原因は、政府がこれまで、ロシアとビジネスをしてきたからである。チェチェン、ジョージア、クリミア、ドンパス、などで起きていることを見ぬふりをしてきた。プラグマティズム的な政策で妥協しようとした。ロシアが何をしようとしているか目を覚まして理解してしなければならなかったにも関わらず。
西欧の政治家たちは、プーチンを甘く見てきた。世界は、ロシアもウクライナも、ネオナチズムと見るだろう。
アーレントは「真理と政治」で、アイヒマン裁判でドイツを支持したと批判されたことへの自分の考えを述べる。
アイヒマンを大悪でなく凡庸と言ったのは、アイヒマンの役人根性のことである。ナチを支えたのは、悪の全般ではなく、アイヒマンのような凡庸さであったこと。アイヒマンは裁判で凡庸を演じたのではあることを承知の上で。悪は、卑怯で、だからこそ小さい存在である。アーレントは、悪は極端であっても、根源的なものではないと考える。
リゾームのように、菌のように表面に広がるからこそ、世界を荒廃させる。
ドイツのフェルキッシュ・ナショナリズムとソ連の汎スラブ主義は同じものであると考えた。そして、アーレントは、ロシアとナチに共有の全体主義にあるものが、秘密警察的なものだと考える。ロシアには、ゴルバチェフやエリツェンの時代での民主化への方向から一転して秘密警察の時代に戻ってしまった。
そもそも、ソ連の秘密警察創設者は、フェリックス・ジェルジンスキー(ポーランド系貴族)であるが、その発案はモンゴルである。チンギスハンに起源がある。イワン雷帝が引き継ぐ。エカテリーナの孫がナポレオンに習う。農村の様々に置いた。オフナラという秘密警察が基礎である。プーチンは、秘密警察の直系で、中学三年からKGBを目指していた。
マイダン革命の時に、サントペテルスブルクで、市長と一緒にいるプーチンが民主派市長に寄り添っている映像がある。この時、プーチンは心の奥で一般市民が権力に反抗する姿はあってはならないと考える。それこそ秘密警察の対抗にある。
プーチンの歴史観、イデオロギーがナチスの世界像の反復に見えるもので子供じみた妄想を描くのである。スターリンもオフナラのスパイなった。
もう一つ歴史の真実として、裁かれなかったロシアがある。スターリンの大虐殺、シベリア抑留、ポーランド虐殺、第二次大戦など。世界はロシアを裁かなかった。それがプーチン政権に繋がる.クリミア、チェチェンも戦争責任をとわれなかった。強者は戦争責任を問われない、これは現在の世界の欠陥である。一方で、米国も新自由主義の名の下、科学と軍事で世界の覇者となり、ベトナム、イラン、アフガニスタン等でやりたい放題である。
ソ連とアメリカは新しい植民地主義の姿である。
ウクライナを見ると、東部、南部ロシアに近い地域にはロシア人が多く住むがこれは、ロシア政府の戦略的強制移住によるもので、段々とロシアよりになっていく。
アーレントのもう一つの指摘である。プロパガンダの中とは言え、一般市民が、時の強権に抵抗するどころか協力してきたという事実である。
キーウ郊外のバビ•ヤールのユダヤ人虐殺は隠されてきた。ロズニツァの映画がある。ロズニツァの「バビヤール」は、ウクライナ人がユダヤ人虐殺に協力したことを描く。ウクライナの西部ナショナリストが、ナチと手を組んで、ユダヤを虐殺したことは事実である。2日間で3万人以上が銃殺される。
ユダヤの大虐殺は、ロシアの無人地域か、ポーランド、ルーマニアのような、地元住民が片棒を担いでくれそうな地域でのみ起きている、とアーレントは指摘する。
政治は嘘を平気で言う。ブチャの虐殺。トランプのオハイオ州での違法入国、統一教会と安部晋三との選挙相談。柳条湖事件関東軍のでっちあげ。
スターリン時代のソ連は全体主義であることをアーレントは捉えていた。
スターリニズムとナチズムを同時代の二つの全体主義としてそれがそのままソ連に受け継がれた。ソ連の亡霊、秘密警察の暗躍何が世界の脅威である。しかし、それだけではない。世界は今、中国の習近平の長期体制、プーチンの独裁、中東アラブ、アジア、アフリカ、中南米も強権的支配体制が目立つ。民主化運動が、権威主義により退潮している。
アメリカもベトナム戦争、アフガニスタンの空爆の嘘を何ら反省していない。
私たちは今リゾーム的監視国家だけではなく、恐怖政治や全体主義が再びやってくる心配をしなければならない。オーウエルの「動物農場」で人間はどうなるのか?の問いである。
嘘に埋没すると、我々は方位を定める感覚が失われていく。自分がどこにいるのかわからなくなる。それ自体を見失う。事実は偶然性を伴う。しかし、確実に存在している。しかも、危ういところに存在している。真理.開示するのは、政治の外にいる人々である。