わたしたちの結婚#26/夫の家族とご挨拶の延期
今となっては、なかなかすごい時期だったな、と思うのだけど、その頃は都道府県を超えて移動することは控えた方がいい、というマナーが存在した。
不要不急の外出、とか、自粛、とか、そんな言葉が世間を席巻していた。
「というわけで、こちらの両親への挨拶はしばらく控えて欲しいそうなんだ」
水族館の帰り、夫は申し訳なさそうに私にそう言った。
夫の実家は遠方で、私も気にかけていた。
「そっか。それは仕方ないね。最近はWEBのテレビ電話で挨拶する人もいるみたいだよ。そういう形も考えた方がいいのかな」
「うーん。うちの両親は高齢で、そもそもそれを接続出来なそうだ。近くに住んでる兄さんに手伝って貰えばなんとかなるけど、WEBでの会話を“挨拶”だと思える年代じゃないかな」
夫は一言一言、慎重な様子で私を伺い見ながら伝えてくれた。
その通りだと思った。
最近は契約の話すらWEBの会議で済ませているけれど、私が入社した頃は、メールをしたら、メールしましたと電話するのがマナー。商談はアポを電話で取って、直接伺うのがマナー、なんて時代だった。ついこの間まで、そんな世界に生きていた。
大切なことは対面で、こちらからお伺いする。
それは古くからずっと続く日本の文化だ。
ご両親がそれを望むのは当然である。
私は納得して頷いた。
「代わりと言ってはなんだけど、これ」
夫はスマホの画面に写真を映し出してくれた。
夫の家族写真だった。
「今よりちょっと、いや大分若いけど。姪っ子のお宮参りのときだったかな。みんなで写真を撮ったから」
夫の家族は、みんな夫と同じ、少し目尻の下がった優しい瞳をしていた。
夫はひとりひとり指差して、どんな人か説明してくれた。
これまで話してくれていた家族の話と合わせて、この優しげな表情の一家を一気に身近に感じた。
「正直、もう家を出て長いから、そんなに家族という感じでもないのだけど」
夫は鼻を掻きながら言った。
そうは言っても、夫が家族を大切にしていることは、十分に伝わってきた。
「実際にお会いするのが楽しみだな」
私は写真に微笑みかけた。
「両親は、自分の決めた相手なら何も言わないと言ってくれてるから、なにも心配ないからね」
「まあ、何年も何年も“結婚しろ”とどんなにけしかけても結婚しなかった息子がやっと結婚相手を決めたんだから、むしろ君に感謝してるくらいだと思うよ」
夫は笑った。
正直言うと、私は夫の両親に挨拶することなく話が進むことが少し不安だった。
けれど、仕方ない。
前に進むと決めたんだから、この人を信じよう、と思った。
「結婚式はどうしたい?」
ぼんやりとした憧れはあるけれど、具体的に考えていなかった。テレビでは、結婚式の延期のトラブルが何度も放送されていたり、お酒が20時までだったりといろいろ制約があるようだった。
こんな時期に呼ばれても、行くかどうかみんな悩むだろう。
「絶対したい、というわけではないけど、全くしないというのも寂しいかな。でも、今じゃないと思ってる。もう少し落ち着いてから考えたい」
「そっか。自分は正直したくないんだ。君がどうしてもというのであれば、また相談しよう」
プロポーズという一大イベントが終わり、私たちは次のステップを踏み出すための話をはじめた。
じわじわと変化していく日常に、少し緊張した。
私の表情が固くなったのを気にしてか、
「まずは来週の旅行だね。初めての遠出だから、思い切り楽しもう」
夫は私に向き合ってそう言った。
私は笑顔で頷いた。
こんなに順調でいいのかな。
そんな贅沢な不安が頭をかすめた。
かぶりを振って、夫を見る。
夕焼けが眩しくて、目を細めていた。
私の視線に気付いて、微笑む。
この上なく優しい表情で、夫はいつも私に微笑みを与えてくれる。
来週、楽しみだな。
心の中でそう呟き、前を向いて歩いた。
ロン204.
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