「最後の名人戦」の覚悟。
◆佐藤天彦名人に羽生善治竜王が挑戦する第76期将棋名人戦は, カド番の羽生善治竜王が2手目 (後手の初手) に△6二銀と意表の初手を繰り出しました. 筆者はその初手に, かつての大名人の覚悟を感じ取ったのです.
最近では, インターネットを中心として将棋観戦を楽しむ「見る将」なんて言葉も市民権を得るほど,「自分でプレーしない将棋ファン」が多くなりました. ぼく自身は将棋を覚えて二十年のファンですが, 道場などが身近にあるわけでもない田舎住まいですから, これまたインターネットが普及するまではほとんど指す機会もなく (今はスマホでちょこちょこと楽しんでいます), あと将棋を楽しむ方法と言えば『将棋世界』をはじめ, 今はなき『週刊将棋』や各種の単行本などを読むくらいしかなかったのです. 今の言葉に倣えば, さしづめ「読む将」だったのです.
人と指せず, 見ることも叶わず, 詰将棋はさっぱり詰みません. そんなぼくが将棋を楽しみ続ける方法といえば, 棋譜を並べることと「読む」ことでした.
将棋を「読む」とき, まず挙がるのは観戦記です. 将棋の対局は, 一部の例外を除けば, 部外者に和気藹々と観戦させることはありません. タイトル戦などで観戦ツアーが組まれていてもせいぜい冒頭の一定時間ほどです. いわば密室で行われている対局に, 対局開始から終局までつかず離れず貼りついて, 解説を交えつつ記録を残すのです.「対局のルポ」とも言えましょう.
インターネットを中心とした動画中継がごく普通に見られるようになった今でも, あるいはむしろ今だからこそ, 人間同士の対局ゆえに水面下で繰り広げられたドラマ (将棋の対局の場合は, リアルタイムの解説でもわからない部分がどうしても残ります) を引っ張り出す観戦記を楽しみにしているファンは多いと思います. ぼくもその一人です.
将棋ファンにとって, 春といえば「名人戦」です.
将棋界では名人を頂点とする番付制度 (順位戦といいます) が採用されており, 6月頃から3月まで1年がかりで5つのリーグ戦が戦われます. 成績の良し悪しに応じて上がったり下がったりしながら, 現役棋士は戦い続けます.
そうして勝ち上がった人だけがたどり着ける最高級リーグがA級です. 定員わずかに10名, 相撲で言えば名勝負を繰り広げてきた横綱大関揃いです. その優勝者が, ときの名人と名人位を懸けて七番勝負を戦います.
これが「名人戦」です. 棋士の本場所である順位戦が戦われないひととき, 名人戦が戦われ, 将棋ファンの視線はただ名人位の行方にのみ注がれます. 春というのは, そんな季節でもあるのです.
昨年度のA級順位戦では, 驚くべきことが起きました. 11人中6人が6勝4敗で並ぶという大接戦だったのです.
優勝者を決めるため, 参加者の過半数による勝ち抜きトーナメント形式 (番付が下の棋士から登場する勝ち抜き戦) のプレーオフが慌ただしく行われ, 47歳の羽生善治竜王がアラサーの豊島将之八段, 稲葉陽八段に連勝して名乗りを上げました.
勝負は一進一退, いずれも先手番が勝って2勝2敗で迎えた第5局, このシリーズで初めて後手番の佐藤名人が勝って防衛にぐいと近付きます. 挑戦者の逆転戴冠には2連勝が必要であり, 何よりもまず羽生竜王は後手番の第6局を勝たねばなりません.
将棋は一般に先手が若干有利と言われています. 囲碁のようにハンディで補正するほどではないが, 無視して互角とも言えない, そんなバランスです. この差は持ち時間 (考慮時間) が長いほど顕著であり, 2日制9時間の名人戦では先手番の勝率は平均より高いことが知られています.
剣が峰のカド番で, しかも後手. 羽生竜王は, そこでものすごい手を繰り出します.
先手佐藤名人, ▲2六歩. 後手羽生竜王, △6二銀.
将棋において, まずほとんどの人が、最初に歩を突きます. 将棋の中で最も働きの強い2枚の「大駒」飛車か角の働きを通すためにぐっと歩を突くのです. そんな中で, ぐいと銀をナナメに上がる手は異色です.
この銀上がりを見て, ぼくは第30期名人戦のことを思い出しました. ぼくが生まれる10年以上前のことを「思い出す」というのも妙な話ですが, この名人戦のことはぼくにとっても繰り返し繰り返し「読んだ」名勝負でした.
ときの名人は勝負の鬼・大山康晴47歳. 並みいる天才たちの挑戦を退け, 名人位に君臨すること連続12年, その天下はまだまだ続くのか, と多くの人が思っていました.
名乗りを上げたのは将棋の鬼・升田幸三53歳. 全盛時には「名人に香車を引いて (ハンディを付けて) 勝つ」ほどの大天才ながら, 健康面に不安を抱えて成績では大山名人に引けを取っていましたが, それでも齢五十を過ぎて名人に挑戦するのは並大抵の才能ではないことを示しています.
この不世出の天才・升田九段が, 最後の大舞台となるこの名人戦で, 大山名人に叩きつけたのが「升田式石田流」という戦法でした.
もともと石田流という戦法は江戸時代からありました. しかしながら, それは当時のプロの間では「素人戦法」と目されており, とても名人戦の舞台に現れるようなものではありませんでした.
升田九段は, この石田流に希代の戦略家としてのアイデアを吹き込み, プロに通用する戦法として磨き上げ, A級順位戦を勝ち抜きます.
それでも, 名人戦の開幕第1局では, 升田九段は石田流を採用せず負けてしまいます. その敗北を受けての第2局から, 石田流が登場して大混戦となるのです.
この第1局で, 石田流を避けた逡巡とは何だったのでしょうか. ぼくは「石田流への覚悟」だと考えています.
おそらく升田九段は, 本気の大山名人に, 石田流では勝てないと考えたのでしょう. 石田流対策の一番の基本は抑え込んで技をかけさせないことです. そして, 大山名人の抑え込みの強さは当代随一でした.
しかし第1局に敗れて, 石田流より他に可能性はないと覚悟が決まったのでしょう. 53歳, はっきり下り坂にある年齢です (戦後, 五十代以上で名人に挑戦したのは大山・升田のお二人しかいません). ここで負ければもう名人戦には出られない可能性は高い. 他の戦法でははっきり敵わない. それならば石田流にこの身を託そう.
そうして, 第2局から升田九段最後の大勝負が始まるのです.
そんな升田九段最後の名人戦は, 石田流で2勝2敗, それ以外で1勝1敗と, 全くの五分で最終第7局を迎え, その第7局を石田流で負けて終わります. この第7局でも, 石田流と決める3手目に30分の考慮時間が記録されています. 最後の最後, 迷いを振り切るのに必要だったのかもしれません.
時計の針を戻して, 羽生竜王の2手目△6二銀に, 同じ覚悟を感じたのです.
将棋史上最高の天才・羽生竜王と言えど, 年々早まる戦術サイクルと世代交代の波の中で50歳を間近に控え, 次のチャンスの確率が低下しているのは間違いないでしょう (それでも元が段違いに高いので可能性は充分にあると思います). 生涯最後の名人戦になるかもしれない一局で, △6二銀を選べるのもまた天才だけに許された振る舞いでしょう.
羽生竜王の覚悟と, それを打ち破った佐藤名人の進化. 素晴らしい天才と同じ時代を生きられることを, ほんとうに有難いことだと感謝しています.