友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
ふと、思い出す歌がある。石川啄木の歌である。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ
大学院生の頃、ぼくはこの歌の上の句だけをじっと噛み締めていた。
(この記事には値札がついていますが、全文無料で読めます。お捻りは数学活動のために利用いたします)
大学院生の寂寞
10年前、ぼくは数学専攻の大学院生だった。博士後期課程にまで来てしまっていた。数学は相変わらず面白かったけれど、研究というのがどういう営みなのか、そのときになってもなお今ひとつ分かっていなかった。机を並べた友は一段、二段と跳躍を重ねているというのに、ぼくはまだどう跳べばよいのかも分かっていなかった。
それでも理解力はある、と自惚れていた。ミーハーな性分のせいでいろいろ読んでいたが、今思うと、それで研究した気になっただけだった。本を読んで理解することはできても、いざ問題を自分で解くことができない。つまりは自分で這い上がる腕力が決定的に欠けていた。
とはいえ、読む以外に何ができたのかは解らない。視野も狭かった。時間のなさから焦燥感だけはずっと感じていて、腰を落として力をつけ直すことも選べなかった。「こんなことをしていていいのだろうか」と思いながら、それでも時間の浪費ばかりしていた。
節題には「寂寞」なんて書いたが、まあ自業自得で空回りしていただけだ。
啄木の歌
そんなとき、件の歌を知った。出会う、などというポジティブなものでは決してなかった。ぼくは当たり前のようにこの歌をふたつに折って、上の句だけをポケットに仕舞った。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
うん、こんな感じだ。
何かある度に、ぼくはこの句を取り出しては、クシャクシャッと丸めて叩きつけたいような衝動に駆られていた。友と自分を比較して、妬ましく思う気持ちがなかったと言えば嘘になるけれど、それより何より、自分の不甲斐なさばかりに腹が立ち、口惜しく思い、そして肥った。
ちょうどこの頃、私生活でも手痛い一撃を食らった。この頃、ぼくにはこの下の句すら重かったのだ。
……妻がいるじゃねえか。
実家暮らしだったのは幸運だった。一人暮らしだったらどうなっていたかわからない。家族がいる。いろいろあるにせよ、家に帰ればとりあえず人がいる。それはとても大きなことだった。
花をともに愛でてくれる妻がいるのに、なんて贅沢なやつだ。そんなふうにぼくは思っていた。下の句を捨てるのは、ぼくにとっては当たり前に思えた。
拾い直す
昨年、やっと妻を得た。「得た」という表現はあまり好ましいものではないかもしれないが、妻がくれるものとぼくが与えているものを比較すれば比べ物にならないほど前者の方が巨大なわけで、ぼくからすればやはり「得た」というのが心情に即しているように思う。
そして、もう一度この歌を拾い直した。精確に言えば、ふたつに折って捨ててしまったはずの下の句を、だ。
花を買って、妻と言葉を交わす。それができれば、友が少しばかり偉くなろうと、自分の生活を続けられる。見ようによっては自分の自堕落な生活の巻き添えにしていると言えなくもないけれど、啄木がそういうことを言いたいのだとしたら、もう少し他の言い回しを使っただろう。
改めて思い返してみる。傍目から見ると、それなりに恵まれた大学院生生活ではあったのだ。少なくとも、ぼくは自分があの環境にいられたことをとても幸運に思い感謝している。(それと同時に, その環境をどうして当たり前のものとして食らいつかなかったかと後悔しているのだが)
師匠はあまりにも強く、優しく、手取り足取りぼくを育ててくださった。ぼくがついていた頃の師匠は四十代半ばで、数学者として脂が乗り、一番時間が足りなかった時期のはずだ。その頃の師匠の時間をずいぶん割かせてしまった。それでもものにならなかったことに対する申し訳なさは、消えることはないだろう。
家庭の事情でぼくは数学研究の世界を去り、それでも未練がましく数学の周辺を遠巻きにしている。幸い、世間は広く、数学を楽しんでいる人たちが多いことを知れた。
そんな数学愛好家の一人として、せめてもの罪滅ぼし代わりに数学日誌と可換環論bot を始めてみた。後から来る人が少しでも歩きやすい道になっていればいいなと思う。
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