見出し画像

「見守る」ことは「攻めの対応」だと思う。

こんにちは!麦原です。
不登校の子のお家の人へたまに投げかけられる見当違いな発言に「甘やかす」がありますね。

「甘やかして休ませるから癖になる」とか
「家の居心地がいいから出なくなる」とか。

それは全く見当違いなので気にしなくていいわけですけれども
たまに
「見守ってるだけじゃ状況は変わらない」とか
「様子見して問題を先延ばしにしている」とかを耳にすると
胸にぐさっと刺さるような感覚になることがある
かもしれません。

フリースクールに見学にいくことや学校との連絡を密にとることが「良い対応」と思われたり
「積極的な親が素晴らしい」という風潮(?)があったりするのかもしれませんね。

誠実でお子さん思いのお家の人だからこそ「子どものためにもっとできることを探さなければ」と思われるのだと感じます。

学校との連絡も最小限、とにかく子どもの心が落ち着くようにと過ごしてきたけれど
振り返るとしばらく外出していないし
フリースクールとか家庭教師とか調べてもいないし
進学について何も情報収集していない・・・

そんな風に思って、お家の人が自己嫌悪になることがあるのかもしれません。

でも、私は「見守る」こと「様子見する」ことは
放っておくとは全く違うと思っています。

その子がいつも通り、自分らしく過ごせることは
放っておいてできるようになることではありません。

周りの人(主にお家の人)が
「いつでも話を聞くからね」というスタンスを絶えず伝えていたり
好きな物について話を聞いてもらったり
美味しいものを食べたり
寒い時に暖かい服を用意してもらったり
1人になりたい時にあえて1人の時間を用意してもらったり…

書ききれないほどの数々のその子のニーズを
お家の人が日々満たしながら
時間をかけて「その子らしくいられる日常」が創られるのだと思っています。

「見守る」の中には
本当にさまざまなケアがあって、
それを日々たえまなく(時には揺れながらでも)提供するお家の人たち

「見守る」はめちゃめちゃ「対応している」ことだと思います!

ゆっくり休むことが必要な子に対して
フリースクールや家庭教師の話を出したらそれはむしろマイナスだと思いますし、
お家の人が「なにもしない」ことが子どもの安心につながる場合もあります。

その子によった「見守り」を探すことそのものが
とても優しく、かつ価値ある不登校対応なんじゃないかなと考えています。

毎日お子さんを見守っているお家のみなさま
本当におつかれさまです。
子どもたちのためにいつも本当にありがとうございます。

麦原ひろみ

いいなと思ったら応援しよう!