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『ソロ戦争』#5 「家族」は一番大切なもの?

自分の体験も交えながら女性の生き方について考え、結婚もせず子供も産まない「ソロ」としての生き方を模索するシリーズ。第3回では私が結婚していない理由について、そして第4回では子供を産まなかった理由についてお話しました。

今回は、なぜ多くの人が「家族」というものを持ちたいと切望しているのかについて考えてみたいと思います。

「家族がなにより大事」という価値観が世の中の大半

映画やドラマなどで、「家族」というのは大きなテーマとなっています。親と子供の葛藤と絆を描いた泣けるホームドラマといったものが大半です。洋物だと、「家族のためにがんばる父」というのがやたらと出てきます。世界を救うのも、家族のためだったりします。家族がいるからがんばれるし、家族のためにがんばることが自分の生きるよすがになっている。これはとても幸せなことだと思います。

街を歩いていても、公園へ行ってもお店へ入っても、家族でいる人たちは幸せそうに見えます。とくに今はコロナ下で、友人たちと大勢で集まったりができないので、家族だとか恋人だとかの最小単位で会う必要があります。家族のいる人は、コロナ下でも孤独を感じることなく、休みの日に公園に出かけたりあるいはちょっと遠出したりして楽しんでいるように見えます。ところが私のようにシングルの場合は友達とも会えないので一人で行動するしかありません。自分は一人なのに周りは家族連れの楽しそうな人ばかりだったりすると、孤独感を覚えます。

家族がいて一番いいのは、「世の中の多数派になれている」という安心感を得られることではないでしょうか。私は以前、男の人と暮らしていたとき、籍は入れていなかったけど夫婦みたいな感じでしょっちゅうあちこち出かけたりしていました。周りの家族連れのなかに自分たちも溶け込んでいました。自分が浮いてないことはとても安心します。

もちろん、家族には大変なことも多いと思います。周りからは幸せそうに見えていたとしても、なにも問題のない家族なんてありませんし、幸せな状態を維持するために努力していたりするのでしょう。子育てだって大変でしょう。しかし多くの人が家族を大切にし、家庭をゴールだと考えているようです。

このように、「家族」がなにより大事、という価値観が世の中の大半なため、「結婚して子供を持ちたい」と考える人が多いのだと思います。

「家族を得る」ためにがんばるということ

が、「優しい夫と子供2人がいる家庭」を欲しいと願って婚活や妊活をがんばっても、うまくいかない場合もあります。もちろん、がんばってうまくいったという人だって多いです。「家族」を望むあまり、あらゆることを犠牲にしている女性を見ると、「そこまでしなくても・・・」と思ってしまいますが、それでも家族が欲しいから、彼女たちはがんばっているのでしょう。そういう人に対して、「もう諦めれば?」みたいなことを簡単に言うのは残酷です。本人は必死ですから。でも、「がんばり続ければ必ず結果が出る!」みたいに鼓舞するのも、違うと思います。それは本人のプレッシャーになってしまいます。

難しい問題だし、その人によって違うと思います。が、私は自分の家族を持つことは諦めています。それは前回書いたように子供を持ちたくないからです。でもパートナーはいたほうがいいな、と最近よく思います。

新しい「家族」の形

私自身はごく普通の家庭で生まれ育ちましたが、親に虐待を受けたり、機能不全家族で育った人だっています。そういう人は、お涙頂戴のホームドラマとかを観てどのように感じるのだろう、と思います。

たとえば、今放送中の朝ドラ『おかえりモネ』では、家族の絆が描かれています。家族一人一人の葛藤があり、互いが互いを思っているがゆえに自分の将来を迷ったりします。とてもいいドラマですが、観ていて、「私の父はこんなふうに娘に寄り添って思いを聞いてくれる人では全然なかったな」とか思います。こんなふうに父と娘が将来について話したりする、というのは、私にとっては衝撃でした。これが普通の家族なのか、と思いました。

最近、俳優の大東駿介さんが、ネグレクトの家庭で育ったという過去を発表しました。幼いころに父親がいなくなり、中学生で母親もいなくなった。大東さんはたった一人で、食べるものもなく、電気も止められたという壮絶な経験をされています。その後、叔母さんの家に引き取られたそうですが、ネグレクトされたことによる心の傷は今も消えないといいます。

大東さんは、「生まれた家族ではなく、自分で選んだ家族のほうにSOSを出してほしい」と言います。たとえば友達だって、自分で選んだ家族のようなもの。「家族」というと血縁のある人限定で考えてしまいがちですが、違う形の家族だってあっていいのではないでしょうか。

先日最終回を迎えたドラマ『#家族募集します』では、赤の他人同士がSNSでつながり、ときにぶつかり合いながらも本当の「家族」になっていく姿が描かれました。血のつながりがなくても、同居してなくても、いつでも思ってるし、いつでも会える。それが家族だと。

血縁にこだわらず、新しい形の「家族」を模索してみるのもいいかもしれません。


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