トートロ爺さん〈即興ショートショート〉
トートロ爺さんの趣味はトートロジーです/トートロ爺さんは同語を反復するのが好きなのです
ですから仲間からはトートロジーさんと呼ばれています/それゆえにポエ爺さん達からはトートロジーさんとの愛称を付けられています
本日も散歩する/この日もそこらを歩いておりました
トートロジー、トートロジーと歩いていると、そこから、というのは川沿いをトートロ爺さんは歩いていたのですが、そこから巨大な桃がピーチピチ、ピーチピチと滑り渡ってトートロ爺さんの方へと向かってくるのでした。
トートロ爺さんは桃アレルギー、つまり桃を食べるとトートロ爺さんの体からはアレルギー反応が、つまりは全身に発疹があらわれ呼吸が困難になり瀕死の状態となってしまうのでした。
それなのでトートロ爺さんはその巨大な桃からトートロジー、トートロジーと早足で逃げてゆきましたとさ。
家に帰って、トートロ爺さんは頭痛イタ子さんに相談しました。頭痛イタ子さんはトートロ爺さんが闇市で拾ってきた女の人で、たいへんな頭痛持ち、いつも「頭痛が痛い」と申しておりますので頭痛イタ子と呼ばれております。本名は誰も知るところなく、頭痛イタ子さんはトートロ爺さんに拾われる前のことはつとめて話そうとはしないのでした。きっと良い思い出はないのでしょう、常日頃頭痛に悩まされるのも、その辺の記憶が関係しているのかもしれません。
「嘘でしょう」とイタ子さんは言いました。
そんな話聞いたことがある、ともいいました。
きっとその桃を割ったなら元気な男の子が出てきていずれ育てば凶悪な鬼を倒しに鬼ヶ島へとイヌキジサルを連れて行くのでしょう、そのためにあたしはきびだんごを用意してあげるの…と、そこまでうんうん唸ったあとイタ子さんは頭痛の発作で寝込んでしまいました。
トートロ爺さんはロキソニンを買いにまた外へ出ました。すると桃に足が生えてなんと地面を走っているではありませんか。どうやらトートロ爺さんを追いかけてきたようすで、キョロキョロと木の間を見回しているのが森の手前から見えました。トートロ爺さんは桃アレルギーなので桃が歩き回っているのも心配でしたが、ロキソニンを買いにツルハへと辿り着くことができました。
薬局の店員さんに桃のことを相談すると
「ああそれなら、うちの娘が、ちょうど桃食べたいって言ってたんで、ほら最近高いじゃないですか、ちょうどよかった、うちに持って帰りますよ。」と言いました。
薬局の店員さんは夕方になると宣言通りに桃を引きずって電車に乗り込んで行きました。
翌日、トートロ爺さんがツルハへ行ってみると、そこには数歳若返った店員さんがいました。聞いてみると
「あれ、桃じゃなくて、巨大なゼリーだったんです。食べてみるとビタミンが配合されていて、すごくお肌がツルツルになったんですよー」
とのことです。なあんだ、桃じゃなかったのか、とトートロ爺さんは一安心でした。
それで結局、中に、というか種に当たる部分に桃太郎らしき赤ん坊はいたのか、と訊ねますと、
「ああ、やけに、こうなんていうのか、表情に乏しい小さな赤ん坊がいましたよ。いまは娘が面倒を見ているところです」
そうですか、とトートロ爺さんは家に帰りました。
それから20年の月日が経ち、トートロ爺さんは病床についておりまして、その枕元ではイタ子さんが座っていました。例の赤ん坊は成長して作業所につとめ、おおきな桃ゼリーを毎日作っているそうです。
トートロ爺さんは「そや、どうせ死ぬのなら最後に桃を一切れくれんかね。冥土の土産に」とイタ子さんに言いましたが、桃は高くて買えません。代わりに桃型ゼリーを、バレへんやろと口へと運んであげました。するとトートロ爺さんいきなり艶々と輝き出し、若返ったのです。
つまりトートロ爺さんはもう爺さんではなく、同語反復を好きではなくなってしまいました。
イタ子さんを穢らわしいものを見るような目で睨み付けて、「頭痛は頭が痛いという意味であり、頭痛が痛いというのは間違った用法だったので、もうお前とは終わりだ」
と言い放ちました。たちまちイタ子さんは頭を掻きむしりました。すると頭の中からガサゴソと音がして髪の隙間からは大量のキャンディーが出てきました。金平糖とよばれるものです。これが長年イタ子さんの頭を苦しめてきた元となるものなのでした。
イタ子さんはもはや頭痛イタ子という名を捨てました。なぜなら誰もロキソニンを買ってくる必要なしに、さっぱり爽快と頭痛持ちとさらばしたのですから。
むかしむかし、おじいさんとおばあさんと桃太郎がおりました。しかし、そこにはトートロ爺さんも頭痛イタ子さんも桃太郎もおりませんでした。いるのは、同語反復語を嫌う若者が一人、頭が爽快で空っぽな中年の女が一人、桃ゼリー作業所で働く若者が一人。
桃ゼリー作業所で働く若者は将来トートロ爺さんになるのでしょうか?いいえ、なりませんでした。桃ゼリーが流行すると誰も彼も皆若返りました。なので、アンソロ爺さんもポエ爺さんもいなくなりました。いるのはただの若者だけです。街から高齢化というものがなくなりました。例の元イタ子さんもピチピチのギャルになってギャルピースをしています。相変わらず本物の桃は高いままで、代用品の桃型ゼリーは人気です。
しかしトートロ爺さんもアンソロ爺さんもポエ爺さんもいない街はとても静かで、ただの若者は同語反復も詩情もきらって、みじかい言葉さえも発さずに、ビタミン豊富なゼリーを食べて暮らしています。さらには、ゼリーを食べているので老けることなく、永遠に若いままなのです。いまでは街に川にと桃ゼリーは廃棄され、ピーチピチと桃が浮いていても誰も気に留めません。
しかし、寿命がなくなったわけではないので、そこの人々は20代前半の姿のまま、急に死にます。つまり、時間感覚も薄れた中で、永遠めいたモラトリアムが続く、という状況を桃ゼリーは生み出したのでした。