ブラック、グレー、いつかはブルー 2
〜社畜は鬱になって、生き直すことに決めました〜
そもそも私がこの会社に入ることになったきっかけは、高校生の頃。17歳、高2の時にアルバイトという立場で入った。
(働いて30年、というのはこの17歳の時からの計算だ)
とは言ってもいわゆる普通の高校生がするバイトとは違う。特殊な職種であったため、ほぼ「修行」のようなものだったと思う。
思えばあの時から、よくよく観察すればブラックの片鱗を垣間見ることができたはずだった。しかしなんといっても私はまだ十代のひよっこ。見抜く力など当然ありはしない。カリスマ社長の「吸引力」にやられた未熟な私は、深く考えずにこの会社にどっぷりはまることになる。
(ちなみにバイト時代もまあまあそこそこ、えらい目に遭ってはいるのだが、その後のことに比べると大したことはないので、割愛したいと思う)
高3になり進学か就職か、と決めなければならない場面で、私は一も二もなく就職を選んだ。
仕事内容としては高校生には難しいこともあり、叱られることも多かったが、成果を出すことが出来れば、例のカリスマ社長に誉めてもらえた。
社長は親や学校の先生とはまた違う、とても魅力的な人物だった。この人がまた、とんでもなく誉めるのがうまい。よくやった、的なことを言われると、嬉しくて一日中ふわふわしてしまうほどだった。
そしてその時に感じたのは、「努力すれば認めてもらえる」という快感だった。いわゆる承認欲求の芽生えだったのだと思う。
同時に、どれほど厳しくされてもやはり学生なので、優遇されることも多かった。先輩たちも、学生ということで優しく接してくれていた。
老舗で信用もあり、同業の中でもかなり有名だった会社。私自身、この時点ですでに、社員として働きたい、と思っていた。
そう、私が勤めていた会社は、実際入社してみるまではブラックどころか、きらきらと輝いて見えたのだ。仄暗い部分は、巧みに隠されていたと思う。
しかしここで言っておきたいのは、決して入社を勧められたわけではないということだ。
飽くまでも就職を決めたのは私自身であり、実際働き出してみて、内情を知って愕然とするのはもっとずっと先のことである。
社畜とは、自ら「なる」ものではなく、「なってしまった」、もしくは「ならざるをえなかった」ものなのではないか、と今、私は思う。
この言葉を聞いて、「へえ、そうなんだ」と思うか、イラっとするかで、そのひとの社畜化する可能性が見える気がするのだ。