ブラック、グレー、いつかはブルー 4
〜社畜は鬱になって、生き直すことに決めました〜
さて、前回があまりにも重かったため、出来るだけライトに行きたいのだが、うまく行くかどうかは神のみぞ知ると言うことで、とりあえず4回目スタート。
ここらで私の仕事について、触れたいと思う。
正式入社は18、そこから6年で私は最も大きなプロジェクトを任される事になった。お前に任せる、と言われた時は、正直喜びより恐怖の方が大きかった。なぜなら、今まで大きな仕事を任された先輩だちが、叱咤されているのを見てきているから。
叱咤激励ではない。
叱咤のみ。
もちろん成功すれば万事OKなのだが、滅多なことでは成功だとは認めてもらえず、失敗した場合は「だからお前はダメなんだ」と、何かにつけて、かつ何年にも渡ってねちねちいわれつづけるのだ。
その程度、と、思うなかれ。
毎日顔を合わせるたびに、叱咤、嫌味、叱咤のオンパレード。そのうち仕事が出来ないのは育ちのせいだとか、家族まで引き合いに出される。
今でこそ立派なパワハラに当たるが、当時はそれほどメジャーな言葉ではなかった。
「お前のために言っているんだ」と言われれば、思っていなくても「ありがとうございます」と言わなければならない。
とりあえず朝から晩まで、仕事と社長のことが頭から離れない。
家に帰っても、いつ電話がなるかビクビク。
仕事とプライベートの切り替えレバーは、社長によって取り外されていた。
そんな日々が三ヶ月。
努力の甲斐あって、なんとプロジェクトは成功した。
お褒めの言葉も頂いた。
私は成功体験を経て、社長の信用も得て、スキルを磨いた。
ここで問題。
新人が仕事で成功を収める。すると次に来る試練はなんだろうか。
一般的な答えとしては、
1.さらに難しい仕事が回ってくる
2.次に入って来る後輩の指導にあたる
あたりだろうか。
もしくは、
3.現状維持
という場合もないではない。
私には、1のケースと2のケースがいっぺんに来た。
しかし問題は2だ。
先輩として、後輩の指導をし始めているのに、社長の私への態度は入社当時の下っ端扱いのまま。
本来私が受け持たなくていい仕事も全て回ってくる。
1のケースで大変な仕事も増えているので、結果とにかく忙しすぎる。
この数年後、ある覚醒をした私は、「無理です」と言えるようになるのだが、まだこの時期の私は「イエスマン」。断る、という選択肢はなかった。
とにかく働く。
なんで私が、と思わなくもなかったのだが、それどころではなく働いた。
私生活は荒れ、食生活は適当、汚部屋製造、仕事関係以外の人と会うこともない。
これが、私が「どんな無理難題をふっかけてもどうにかする便利な奴」になる第一歩だった。
それでも、まだ元気だった。
この仕事が生き甲斐ですと、胸を張って言えた。
お気づきだろうか?
これを、プチ洗脳、と言うのだ。