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ブラック、グレー、いつかはブルー 9

〜社畜は鬱になって、生き直すことを決めました〜

さて、グレーに、それもかなり濃い目のグレーに染まっていた私は、病気発症から辞めるまでの10年間の間、はたらきかたを変えつつも、やはり毎日ちゃんと仕事に精を出していた。

濃い目のグレーなものだから、当時はよく「社長に似ている」と言われていた。
ものすごく嫌だったが、最も社長の近くではたらいていた私は、いつしか彼と同じようにしか物事を考えられなくなっていた。

相変わらず仕事の量は多かった。退院して数ヶ月は腫れ物を扱うようだったが、半年もすれば対応は病気をする前と同じ状態に戻った。
しかしさすがに私は以前と同じように働くつもりはなく、なんでも引き受けるということはしなくなっていた。

が。

ある日、社長は、仕事量を調整する私にこう言った。

「お前の病気はいつ治るんだ」

そのイラついた表情と、言葉に含まれた「とっとと元通りに働けよ」という圧力に、私は愕然とした。
正直、発病した時に感じたのは「辛さ」ではなく、「これで、少しは責任を感じてくれるだろうか」という思いだった。
結局、責任を感じていたのは最初だけで、いつのまにか私の病気は「私がなんでも一人で請け負いすぎる性格」のせいだと変換されたのだ。

もうどうでもよかった。
私の身体など、道具でしかないのだ。
そう思った私は、それから仕事量を減らしながらも淡々とはたらき、さらに信用を得て、成果を上げ、自分の「利用価値」を最大限まで引き上げた。

私は密かに、作戦を練っていた。

「利用価値」が最大限に上がった状態で、ここを辞める。

そして10年。

私の身体はボロボロ、周りの人間に心配されるほどに疲れ果て、老け込み、身体は太り始めた。
思えば、これが鬱の始まりだったと思う。

私はもともと洋服が好きで、どんなに忙しくても、毎日のコーディネートに手を抜くことはなかった。
美容室もコンスタントに行っていたし、メイクも好きだった。
それが、気がつけばいつも同じような服(洗濯済み)、髪は伸ばしっぱなし、メイクも適当。食べ物に気を使うこともなく、はた、と気がつけばコンビニ弁当を平らげている。いつしか味の濃いものしか食べられなくなっていた。
ただその日一日を無事に過ごすことができればそれでいい、という毎日だった。

そんな状態でも、仕事だけはきちんとこなした。
だから、私の変化に気づく人間は少なかった。

そして、私は再び体調を崩すこととなる。
限界だと気づいた時、上司(社長ではない)に私は辞めたい旨を告白した。
彼は社長に非常に信頼されており、きっと「思い直して」と言われるだろうと覚悟していたが、思いの外すんなりと同意してくれた。

「自分の身体は自分で守るべきだ」

初めて、涙が出た。
やって来たことを見てくれていたのだと、感じたからだ。
その後も辞めたいことを告げるたび、同僚も後輩も、みんな心配しつつ同意してくれた。

社長以外は、普通の人間だった。

意を決して辞めたいと話しても、社長は話半分どころか、まったく聞いてないレベルの認知度の低さ。なので、一度話しているはずなのに、時期が近づくと「は?まさか、全部辞められるなんて思ってる?」という返し。
要するに、多少仕事は減らしてやる、程度にしか考えていなかったのだ。

私はこれ以上この状態が続くと、医者に「万が一のことがあっても知りませんよ」と言われた旨を伝えた。
そこでやっと、社長は事態の重大さに気づいたのだ。

正式な引継ぎを含め、私はそれから三ヶ月で、やっと、やっと、ブラック企業を退職した。


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