[西洋の古い物語]「バウキスとピレーモーン」
こんにちは。いつもお読みくださりありがとうございます。今回はギリシャ神話から、親切な老夫婦の物語です。ご一緒にお読みくださいましたら幸いです。
帰り道、ふと良い香りがして振り返ると、金木犀が咲いていました。
香りの良いお花はいろいろありますが、私は金木犀が一番好きです。
ひとときの陶酔、甘美なる追憶。会えなくても変わらず幸せを祈ります。
「花ぞ昔の香ににほひける」
「バウキスとピレーモーン」
昔、フリギアの丘陵の坂のところに、バウキスとピレーモーンという名の敬虔な老夫婦が住んでおりました。二人は生涯、木の骨組みに藁葺き屋根の小さな小屋に済み、貧乏ではありましたが、朗らかに満足して暮らしていました。
※フリギアは古代小アジアの王国の名前。小アジアは、地中海、黒海、エーゲ海に囲まれた半島を指します。
秋も深まったある夕べ、この善良な老夫婦が炉端に座ってうつらうつらしておりました時のこと、二人の見知らぬ旅人がやってきて一晩泊めて欲しいと頼みました。老人は玄関口で彼らを心より歓迎し、疲れた手足を炉の前の長椅子で休めるように言いました。旅人は粗末な玄関口から入るのに身をかがめねばなりませんでした。
その間、バウキスは残り火を掻き立て、枯れ草に息を吹きかけて炎を起こし、シチュー鍋を煮るために薪を積み上げました。黒ずんだ梁からは脂の乗った脇腹肉のベーコンが吊り下げられていました。ピレーモーンはベーコンを炙るために薄く切り取り、お客が田舎風の水桶で手を洗ってさっぱりしている間に庭からシチュー用の野菜を集めました。そして年老いた妻は、寄る年波に震える手で食卓布を敷き、食卓の準備をしました。
それは質素な食事でしたが、空腹を抱えた遠来のお客は十分おいしく味わいました。最初の料理は練乳と卵のオムレットで、ラディッシュが添えられ、粗末な樫の木の皿に盛って出されました。丸く削ったブナの木のカップには自家製のワインが陶器の水差しからなみなみと注がれました。二番目の料理は干しイチジクや干し葡萄、プラム、甘い香りの林檎、葡萄が、混ざり物の無い白い蜂の巣をひとかけら添えて盛り付けられておりました。
お客にとって食事を一層ありがたいものとしたのは、それが供される際の心尽くしの気持ちでした。老夫婦は顰めっ面もせず文句も言わずに、家にあるものは全て振る舞いました。
ところが、突然、バウキスとピレーモーンをびっくり仰天させることが起こりました。彼らがお客のためにワインを注ぎますと、ほら! 注ぐたびに水差しはまた縁までいっぱいに満ちるのです。
そこで老夫婦は、お客が単なる人間ではないことがわかりました。そうです、彼らは誰あろう、貧しい旅人に姿をやつして地上へと降りてきたユピテルとメルクリウスに他なりませんでした。つつましいもてなしを恥ずかしく思い、ピレーモーンは急いで出て行って、一羽きりのガチョウを殺して炙ろうと思い、追いかけ始めました。お客は彼をとどめて言いました。
「我々は人間の姿で下ってきて、百軒の家で宿と休息を求めた。その答として百のドアが我々に対して閉じられ、鍵がかけられたのだ。そなたらだけが、最も貧しき者よ、我らを喜んで受入れ、持てる最上のものを与えてくれた。さて、見知らぬ旅人をあれほど不親切に扱った不敬虔な輩を罰せねばならぬ。だが、そなたら二人は助けおこう。小屋を去り、我らに従ってあそこの山の頂きまで来るのだ。」
そう言いながらユピテルとメルクリウスは先を進み、年老いた二人は足をひきずりながらその後ろをついていきました。ほどなくして山頂に着きますと、バウキスとピレーモーンは、その地域一帯が、村々も人々も、沼に沈んでいくのを目にしました。ただ彼らの小屋だけが残って立っておりました。
彼らがじっと見ておりますと、小屋は白亜の神殿に変わりました。玄関口は大理石の柱が並ぶポーチに、藁葺き屋根は黄金のタイルを敷いた屋根に、家のまわりの小さな庭は庭園になりました。
ユピテルは、バウキスとピレーモーンを優しい目で見ながら言いました。
「言うがよい、善良なる老人とそなた、良き妻よ、そなたらのもてなしに我らは何を返礼すればよいかを。」
ピレーモーンはしばらくの間バウキスと囁きあい、バウキスは頷いて同意しました。
「私どもの願いは」と彼は返事しました。「あなた様にお仕えする僕となり、この神殿のお世話をさせていただくことでございます。もう一つお願いがございます。少年の頃から私はバウキスだけを愛してまいりました。そして彼女も私のためだけに生きてまいったのです。同じ時に私ども二人が共に召されるようにしてください。私が妻の墓を見ることのないように、また彼女が私の死を悲しむ辛さを味わうことのないようにしてください。」
ユピテルとメルクリウスはこの願いが気に入りましたので、喜んで二つとも承諾しました。そして、バウキスとピレーモーンに若さと力を与えました。神々の姿は彼らの目に見えなくなりました。バウキスとピレーモーンは命が続く限り、かつて彼らの家であったその白亜の神殿を守る管理人をつとめました。
再び老齢が彼らを訪れました。ある日、彼らは神殿のポーチの前に立っておりました。バウキスが夫の方に眼差しを向け、じっと見つめておりますと、彼はふしくれだった樫の木にゆっくりと変わっていきました。ピレーモーンも、自分が地面に根を生やすのを感じると、同時にバウキスも葉の茂る科木(シナノキ)に変わっていくのを見ました。
顔が緑の葉の後ろに隠れてしまうと、それぞれが相手に叫びました。
「さようなら、最愛の人よ!」
そしてもう一度、「最愛の人よ、さようなら!」
彼らの人間の姿は木と枝へと変わりました。
今でも、もしあなたがその場所を訪れるなら、互いに枝をからませた樫の木と科の木をご覧になることでしょう。
「バウキスとピレーモーン」のお話はこれでお終いです。
百軒の家がもてなしを拒んだからといって、人々や村々もろとも地域一帯を沼に沈めてしまうなんて、ユピテルとメルクリウスもひどいと思うのですが、神話には神々の怒りが極端な形で示されることがよくありますよね。
老夫婦は生涯愛し合い、同時に死にたいとの願いました。『三国志演義』で劉備、関羽、張飛が桃園で義兄弟の契りを結んだ際、「同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん」と願ったことを思い出しました。三豪傑は別々に亡くなりましたが、バウキスとピレーモーンは願いが叶って、最後は同じ時に木に変身し、人間としての生涯を終えました。2本の木は今でも枝と枝を絡み合わせているなんて、素敵ですね。
この物語の原文は以下に収録されています。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
次回をどうぞお楽しみに。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?