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美しく生きたい夢追い人の生活と意見

慌ただしい朝に繰り広げられるのは、食欲と見栄の攻防戦だ。

ーやばい!あと10分で出なきゃ遅刻確定。
ーでも朝ご飯はしっかり食べないとね。もう用意しちゃったし。
ーでも今描いた眉毛、ダメでしょ絶対。直さないと!
ーあー、だから!ごはん食べる時間なくなっちゃうでしょ。

結局今日も、「お腹いっぱい食べて元気よく1日をスタートしたい私」と「ちっぽけな顔に1ナノグラムでも多く自信を乗っけておきたい私」との戦いに決着がつくことはなかった。両者は手を取り合い、仲良くゴールテープを切ることに決めたのである。その平和協定に、私は一層苦しめられるのであった。

「チクショウ…チクショウ…。」

心の中で穏やかでないリズムを刻み、眉毛の大幅修正に取り掛かる。なんとか妥協できるところまで仕上げたら、キャップを閉め、眉ペンを放り投げる。
時間なんて無いのに、どんぶりいっぱいによそってしまったご飯を、電子レンジで温めた味噌汁で流し込む。咀嚼する間に適当な上下を見繕い、服を着る。白飯に、炒めた豚肉をぼんと乗せただけの雑な弁当をリュックに放り込み、外へ飛び出す。「駅まで15分」の道のりは、頑張れば「駅まで7分」になることが分かった。言うまでもなく、その道のりは地獄だ。沿道に誰もいない、孤独な戦場。
「あと10分、早く起きれば良かった…」
毎日のように同じ反省の文句を涙と共に垂れ流す。ただその「反省」とやらも、霧のようにすうっとどこかにに拡散していき、明日の朝にはどこかに行ってしまうだろう。

最近心掛けていること。それは、ちゃんとした食事を作ることだ。ちゃんとした食事というのは、 バランスが良くて栄養があるごはん。 理想は、丼にたっぷりと盛られた白いご飯に、具沢山の温かいみそ汁。小さな器に程よく収まるレタスのサラダとシンプルに焼いただけの鮭、納豆。色々な味のおかずも良いけれど、素材が良くてたっぷりと食べられる食事の方が好きだから、3食それでも良いくらいだ。

一人暮らしで、アルバイトして、ダンスとボイストレーニングのレッスンに通って、舞台のオーディション受けたりレコーディングしたり…なんて日々を送っていると、そんな単純なことがなかなか難しかったりする。こうして文章を書くことも、歌うことも踊ることも大好きなことだ。時間もお金もかけられないけど、毎食きちんと食べて、楽しく過ごしていきたい。

好きなことをする時間も確保しながら、自分でごはんを作って食べる、ということを考えると、朝にまとめて料理をするのが良いと思った。でもやってみたら、冒頭のようなあり様になってしまった。

私が自炊にこだわる理由は、もう一つある。
それが自分の中の財産になると信じているからだ。

中原淳一というイラストレーターがいる。戦後に活躍し、女性をモチーフにした作品を数多く残している。カラフルで可愛らしい装い、上品な佇まい。「エレガンス」を具現化したようなイラストの数々に魅了された。こんな風になりたい。これこそ、私の理想の女性像であった。
戦後のモノが無い時代。その日の食べ物を確保するにも一苦労という時を生きる少女たちに、淳一先生は雑誌「ひまわり」でおしゃれを楽しんだり、名作に触れたりと、豊かな心を持ち続けることの大切さを説いた。新しい服は変えなくても、サイズの合わなくなったワンピースをリメイクしてブラウスを作る。道端の雑草をきれいに活けて季節を楽しむ。少ない物資で工夫して「美しく生きる」ことの大切さを訴えた。

「美しく生きる」って何だろう。
容姿の美しさもある程度は気にしたいけれど、それだって日々の暮らしの積み重ねが表れるものなのではないか。食べるものや睡眠時間、どんな部屋で暮らして、身の回りの食器や文房具をどんな風に扱って、周りの人にどんな風に接しているのか。そんな細々とした日常の積み重ねが、見た目や、話し方や、振舞い方に出てくるような気がする。

と、ここまで書いて、自分の部屋を見まわしてみる。床に散らばる飲みかけのペットボトルやアイロン待ちの洋服は、自らの行いの結果とはいえ、見ているだけで気が滅入る。加えてバイト先の喫茶店ではカップを下げる物音を注意される始末…。ズボラ人間が「ちゃんとしなきゃ。」と決意したところで、薄紙のように頼りないそれは、あっけなく春風に吹き飛ばされてしまうだけ、な気がする。

だからもう、ズボラな自分は受け入れるしかない。「ちゃんとする。」ではなくて「できることをする。」をモットーにする。例えば溜めがちなアイロンは 、専用のカゴを作って綺麗に保管する、とか。これが、「洗濯物を取り込む度にアイロンまで終わらせなきゃ」と思うと苦しくなる。性に合わないことをしようとして、余裕を失い、他人に当たり散らす人間になってしまったら本末転倒だ。世間でもてはやされる「丁寧な暮らし」ではなく 、自分の性格や生活リズムに合わせて工夫することが、美しく生きることに繋がるのではないだろうか。

淳一先生の言うように、無いものを求めるのでなく、限られたものの中で知恵を絞り、スキルを身につけて補っていく。その過程がきっと自分自身の財産になるのだと思う。それは時間や能力の使い方にも同じことが言えるのではないか。「忙しい。時間が無い。」なんて言ったってごはんにはありつけない。忙しくても、食事を用意するために時間をやりくりしたり、手際よく一品作れるようになったりしたら、未来の自分はもっと楽しく生きられる気がする。

とりあえず、毎朝駅までドタドタ走るような生活は決して美しいとは言えない。そろそろ軌道修正が必要だ。色々と思う所はあるが、まずは歩いて駅まで向かえるようになりたい。焦らずに、一歩一歩。美しい暮らしまでの道のりは、まだ遠い。

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